平和あっての野球…終戦記念日に思い出す「はだしのゲン」作者の言葉

[ 2016年8月15日 11:15 ]

2011年8月5日、広島―巨人戦で始球式を行う中沢啓治氏

 71回目の終戦記念日が訪れた。この季節が来ると、5年前に聞いた力強いメッセージを思い出す。「スポーツが繁栄するのも平和だから。不戦を誓う憲法9条を守らなくちゃいけない。特に若い世代にしっかりと考えてもらいたいね」。故中沢啓治さん。漫画「はだしのゲン」の作者で、2012年12月に肺がんで亡くなった。

 取材の機会を得たのは11年夏。53年ぶりに8月6日「原爆の日」に広島市内でプロ野球公式戦が行われる(※)ことを特集した記事で、野球を通じて平和の大切さを伝える同5日の「ピースナイター」で始球式を務めることになっていた中沢さんのご自宅を訪ねた。「がんと闘っているんですよ」。話を聞き始めてほどなくして出てきた言葉に驚かされた。

 「はだしのゲン」は6歳のときの被爆体験をもとに描かれた作品だ。父、姉、弟を失い、直後に生まれた妹も4カ月で亡くした中沢さん。つらい暮らしの中で「唯一の娯楽。熱狂した」というのが野球だった。手製の糸巻きボールで遊び、1950年に広島カープが誕生すると、学校の後に球場に通う日々。グラウンドとロープで仕切られただけの観客席で声をからして応援したという。

 取材にあたって「はだしのゲン」を読み、こんな吹き出しを見つけた。「カープが勝つことは市民を明るい気持ちにさせてくれるけえのう」――。中沢さんは「私自身の思い。戦後の焼け跡から、ずーっとカープと一緒でした」と話した。復興する被爆地とともに歩んだ球団。球団創設から25年を経て最高成績3位、それも1度だけというチームが75年、初優勝で広島市民を歓喜させた。

 91年までの間に6度の優勝を重ねながら栄冠から遠ざかった球団は、ことし、25年ぶりのVへ絶好機を迎えている。マジックナンバー点灯は早ければ18日だ。中沢さんも空の上からきっと見ている。平和あってのスポーツ、平和あっての野球と呼びかけながら。(記者コラム・和田 裕司)

 (※)原爆ドームや平和記念公園に近かった旧広島市民球場は、8月6日は市の条例で「休場日」と定められ、58年を最後に試合開催がなかった。マツダスタジアムに本拠を移して3年目の11年に、53年ぶりに広島市内での「8・6」プロ野球公式戦が実現した。

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