ヤク館山を見つめる目 敵スコアラーは幼なじみの親友「裏方だけど負けたくない」

[ 2016年8月14日 12:03 ]

ヤクルト・館山

 今月上旬。バックネット裏に座るDeNA・三橋直樹スコアラーは、マウンド上のヤクルト・館山に真剣な眼差しを向けていた。1球投げるごとにパソコンでデータを入力する。「タテ(館山)がベンチに戻る時の表情も見ています。自分の球に納得しているのか、小さい頃から一緒にいたのでちょっとした仕草で気づく部分もある」。

 館山と三橋は神奈川県厚木市出身。同じ小・中学の幼なじみだ。互いの実家は1キロも離れていない。館山は「直樹の家でよくファミスタをやった」と懐かしむ。軟式少年野球チーム「県央少年野球クラブ」では館山が捕手で、三橋がサードだった。館山は小6時にソフトボール投げで厚木市内トップの62メートルを記録。強肩はずば抜けていたが、三橋に特別な感情を抱いていたという。「野球が下手だった僕のお手本。センス抜群でこういう選手がプロにいくと思った。小学校の卒業文集に(将来の夢は)プロ野球選手と書けなかった。直樹がいたからです」。

 三橋は中学時代、六大学野球の観戦が趣味だった。自宅最寄りの本厚木駅から神宮へ往復3時間かかる。第1試合の練習が始まる午前11時には球場に到着し、第2試合終了の午後7時過ぎまで見続けたことも。観戦に誘ってついてきた唯一の友達が館山だった。「いつも一緒にいましたね。法大の矢野英司さん(元横浜)が好きでブルペンの投球をずっと2人で見ていた。何度も観に来るから矢野さんが気づいて革手袋をくれて。いい思い出です」と振り返る。

 高校進学後は対照的な歩みだった。館山は日大藤沢のエースで3年春に甲子園出場。日大でも日本代表に選出された。02年ドラフト3位でヤクルトに入団。一方、三橋は向上に進学するが2年夏までベンチ外だった。同年秋から投手に転向して素質が開花。「ライバルでなくあこがれだった」と館山の背中を追い続けた。関東学院大、日産自動車を経て、館山に3年遅れの05年大学・社会人ドラフト4位で横浜(現DeNA)に入団した。

 2人はファームで一度だけ先発で投げ合った。06年4月27日の湘南―ヤクルト戦(平塚)。館山は05年に10勝を挙げ、調整登板だった。一方の三橋は新人で結果が求められた。結果は2―0でヤクルトが勝利。三橋は打席で館山の球を体感し、「とにかく速かった。これが1軍で活躍する投手の球なのか」と衝撃を受けたという。

 三橋は11年限りで現役引退。館山と1軍で対戦する夢は叶わなかった。だが、スコアラー3年目の今年はヤクルト担当。不思議な縁を感じたという。館山も気持ちは同じだ。右肘痛から復帰登板した7月6日のDeNA戦(横浜)。登板後、一塁ベンチに目をやった。「直樹がいてね。なんかうれしかった」。

 深い絆で結ばれた親友だが、勝負になれば別だ。三橋は「タテには特別な感情がある。でもDeNAが上にいくために倒さなければいけない。あいつは選手、僕は裏方だけど負けたくない」と言葉に力を込める。館山も「チームが勝つことが大事。直樹の考えていることのもっと上をいきたい」と前を向いた。13日現在で3位・DeNAと5位・ヤクルトは4・5差。互いを認め合うからこそ、負けられない。(記者コラム 平尾 類)

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