イチロー 米殿堂入り確実に 16年目での到達は史上最速タイ

[ 2016年8月9日 05:30 ]

<ロッキーズ・マーリンズ>史上30人目大偉業!真っ先にベンチを飛び出して来たゴードン(左)と満面の笑みでハグを交わすイチロー

ナ・リーグ マーリンズ10―7ロッキーズ

(8月7日 デンバー)
 ついに金字塔!マーリンズのイチロー外野手(42)は7日(日本時間8日)ロッキーズ戦に「6番・中堅」で先発出場し、7回の第4打席に右越え三塁打を放ち史上30人目のメジャー通算3000安打を達成した。代打中心の起用で、あと2本としてからは9試合を要しただけに重圧から解放された背番号51の頬には涙が伝った。16年目での到達はピート・ローズに並ぶ史上最速タイ。米国野球殿堂入りの目安となる偉業で、将来、日本選手で初めて殿堂入りすることは確実となった。

 右翼手のグラブの先を打球が抜け、フェンス上部で跳ね返るのを確認したイチローは一気に加速した。悠々と三塁へ到達。三塁打での3000安打達成は、96年のポール・モリター以来、2人目だ。三塁側ベンチからナインが駆け寄ってきた。敵地クアーズ・フィールドをスタンディングオベーションが包み込む中、最後にバリー・ボンズ打撃コーチと抱擁した。

 「3000という数字よりも、僕が 何かをすることで、 僕以外の人たちが喜んでくれた。今の僕にとって何よりも大事なことだと再認識した瞬間でした」

 ヘルメットを掲げて声援に応えた後、後続の適時打で生還した。そして、ベンチの隅へ。そっとかけたサングラスの奥から、隠しようのない涙が頬を伝った。

 数々の記録を樹立してきたが、この壁には苦しんだ。残り4本で本拠地マイアミ10連戦に入ったが、代打出場が多くなり、地元での達成はならず。シカゴ、デンバーと移動し、前日に8試合12打席ぶりとなる安打でようやく王手をかけた。

 8試合ぶりスタメンのこの日も3打席目まで凡退。しかし、7回1死の第4打席、左腕ラスンの2ボールからの86マイル(約138キロ)カットボールを振り切り、断ち切った。代打での起用は1打席の重圧が増し、打てなければ精神的なダメージも倍増する。「誰にも会いたくない、しゃべりたくない。苦しい時間でしたね」と吐露した。

 多くの感情が湧く中である人物への思いは特別だった。「3000を打って思い出したのは、このきっかけをつくってくれた仰木監督ですね」。「イチロー」という登録名を生み、ポスティングシステムによる日本野手初のメジャー挑戦を認めてくれたオリックス時代の指揮官。「00年の秋に神戸で、お酒の力を使って僕が(メジャー行きを)口説いた。仰木さんの決断がなければ、何も始まらなかった」。05年に70歳で他界した仰木彬氏に改めて感謝した。

 周到な準備、リスクマネジメント、変化を恐れない精神力。これがイチローの3本柱だ。だが、周囲はシンプルに表現する。「イチローほど野球を好きな選手はいない」とドン・マッティングリー監督。ボンズ打撃コーチは「実績、年齢を重ねれば情熱を保つことが最も困難なのだが、彼にはそれがない」と説く。「24時間、野球のために時間を使っていますから」とイチローは話す。専用トレーニングマシンは本拠地に8台、自宅に5台。マリナーズ時代から特殊マシンへの投資額は軽く5000万円を超える。野球を愛するから全てをささげられる。

 約140年のメジャーの歴史で30人しかたどり着いていない領域。ストイックに野球と向き合ってきたが「この先は感情を無にしてきたところをうれしかったり、悔しかったり。それなりの感情を少しだけ見せられたらいいなと思います」と言った。イチローに芽生えた新たな変化だった。

 周囲には「50歳まで現役を続けたい」と公言する。次の目標は――。

 「4000(安打)しかないですからね。でも200本を5年やれば、なっちゃいますからね。3000でみんな殿堂とつなげるけど、僕には将来いつの日か分からないことよりも明日の試合に出たいということが大事」

 常に先を見据える、野球を愛してやまない優しいまなざしだった。 (笹田幸嗣通信員)

 ◆イチロー(本名・鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年(昭48)10月22日、愛知県生まれの42歳。愛工大名電時代は投手として甲子園に出場し、ドラフト4位で92年にオリックス入団。94年にプロ野球初のシーズン200安打を突破するなど、00年まで7年連続首位打者。ポスティングシステムで01年にマリナーズ入団。同年にMVPや首位打者、最多安打、盗塁王、新人王など総なめ。04年にはメジャー新記録となるシーズン262安打をマークした。12年途中にヤンキースへ移籍し、15年からマーリンズ。1メートル80、78キロ。右投げ左打ち。

 ≪イチ3000安打あれこれアラカルト≫

 ☆最速 16年目での達成はピート・ローズに続く2人目。

 ☆最遅デビュー 27歳での初出場は、23歳10カ月のウェード・ボッグスを上回り最も遅いデビューからの達成。

 ☆最年長 42歳290日での達成は、近代野球とされる1900年以降ではリッキー・へンダーソンの記録を4日更新して最年長。近代野球以前ではキャップ・アンソンが45歳で達成。

 ☆8月7日 99年の同日にはボッグスが3000安打を達成。04年にはグレグ・マダックスが通算300勝、07年にはバリー・ボンズが当時最多のハンク・アーロンを超える通算756号本塁打を記録。

 ☆米国以外出身者 ロベルト・クレメンテ(プエルトリコ)、ロッド・カルー(パナマ)、ラファエル・パルメイロ(キューバ)に続く4人目。

 ☆球団初 ヤンキースでプレー経験のある選手では7人目、マリナーズ経験者では3人目で、マーリンズでは初めて。

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