野田浩司氏 “かわいい後輩”イチロー偉業「努力の積み重ねに頭が下がる」

[ 2016年8月8日 11:26 ]

<ロッキーズ・マーリンズ>7回、イチローは右越え三塁打でメジャー3000安打を達成

 大半の人がそう感じるように、阪神、オリックスで活躍した野田浩司氏にとってもイチローのメジャー通算3000安打は当然の出来事だった。

 「もう何をしてもビックリしないですよね。メジャーで首位打者を獲っても、最多安打を打っても。ただ1つ、すごいと思うのはこの年齢になってからの記録ということ。普通なら目は衰えてくるし、体にケガも出てくる。努力の積み重ねに頭が下がりますよね」

 かつてオリックスでともに戦い、間近で“凄さ”を見てきた。だからこそ敬意をはらうのは「数字」ではなく「継続」の事実だった。

 野田氏自身、記録にも記憶にも残る投手だった。1987年ドラフト1位で阪神に入団し、オリックス移籍初年度の93年に17勝を挙げて最多勝を獲得。2球団で通算89勝をマークした。特筆すべきは95年4月21日ロッテ戦(千葉マリン)での1試合19奪三振。このプロ野球記録は21年が経過した現在でも塗り替えられていない。

 「最初、マウンドに立った時はすごくイヤだったんですよ。風が強くて、どの辺でボールを放したらいいかも分からないし、手探り状態でした」

 中堅方向から吹き抜ける強風は本塁後方の高い壁に当たり、向かい風となる。マウンドでは全ての方向から風が向かってくる感覚だった。この特殊な状況が「おばけ」と称されるフォークボールの最大の“追い風”となった。「風を確認しながら投げて2回までで、大体つかめましたよね」。2回まで奪ったアウトは全て三振。大記録への助走だった。

 「僕のフォークは、ただ腕を思い切り振って、ボールを行かせないというもの。指を縫い目にかけずにガッツリと握って、手首の柔軟性を意識して縦に切る。どちらかというとチェンジアップ効果という感じかな」

 狙いは空振りを奪うことではなく、打者のタイミングを崩すこと。高低は意のままに操れたが、コースに関しては「ボールに聞いてくれ…ですよ」。特殊なフォークと特殊な状況が相乗効果を生み出した。

 面白いように三振を積み重ね、7回には代打・山下徳人(現ロッテ2軍監督)から当時の日本記録に並ぶ17個目の三振を奪取。直球での空振り三振だった。「僕はフォークピッチャーなので、大半がフォークでの三振。だから裏をかいて直球で三振を取るのが、どちらかというと気持ちいい。だから17個目が一番、印象に残っていますね」。19奪三振のうち、14個までが決め球はフォーク。“例外”が最も会心の奪三振だった。

 イチローは、この記録に少なからず関わっている。3回、上空を舞う強風に流された、フランコの右翼への邪飛を落球。イチローだけではない。一塁手・藤井康雄(現ソフトバンク打撃コーチ)も7回に愛甲のファウルフライを落球。野田氏は両打者をともに三振に仕留めており、新記録は2つの落球なくしてあり得なかった。

 「とにかくすごい風だったし、守備に関しては仕方がないと思っていた。だから何とも思わなかったですね。特に当時の外野陣は素晴らしい選手がそろっていたし、普段からどれだけ助けてもらっていたことか。これは、お互い様ですからね」

 野田氏にとってイチローは頼れるバックとともに気持ちを奮い立たせてくれる、かわいい後輩だった。

 出会いは阪神時代の92年までさかのぼる。

 「西宮第2球場だったかな。阪神時代、ヒジを壊して2軍で調整していた時にルーキーで入ってきたイチローに会った。駆け寄ってきて“鈴木と言います。野田さん、握手して下さい”って。すごく積極的な子だなと思いましたね」

 トレードによって同僚となった93年。当時はまだ1、2軍を行き来する立場だったイチローの姿も良く覚えている。

 「抑えてベンチに帰ってくると、大きな拍手で迎えてくれたり。元気な子で、精神的にもずいぶん助けられましたよ」

 本拠地・グリーンスタジアム神戸ではロッカーが近く、普段から多くの会話を交わした。「2本ヒットを打っても、試合後にはバットを持って室内練習場に行く。こちらが“何してんねん、明日もあるんだから帰れよ”と言っても“納得いかないんで”って。僕なんかはオリックスに来てようやく、2桁勝てるという自分なりの感覚をつかんだけど、イチローはその頃には“自分の中の芯はここ。そこだけは崩しません”って言っていましたから」。驚きと尊敬が自らの刺激にもなっていった。

 右肘故障が原因で00年限りで野田氏は現役を引退する。01年から米国に活躍の場を移したイチローと渡米前に交わした最後の会話は00年オフの選手会納会だった。同席のイチローに「すごいよな。毎年、打撃フォームを変えて首位打者を獲るんだから」と向けると「打てば、相手はもっと研究してくるんですから、こっちも変えていかないと」と返ってきた。「普通はそう考えない。崩れてから考えるんですよ。そこがイチローのすごいところ」。米国での活躍を確信した瞬間だった。

 再会は2年前の冬。神戸・三宮で経営する肉料理店「まる九」の入るビル前だった。偶然の再会に感激するイチローに思わず発した第一声は「目、大丈夫か」。続けて「店、来んといてくれよ」だった。

 「ウチの店って個室がないんですよ。人に気を遣うヤツだから、少なくとも現役の間は、いらないストレスをかけたくないのでね」

 かわいい後輩に対しては、久々の再会でも心配の言葉が口をつく。野田氏はこれからも“あの頃”と変わらない温かい目で活躍を見守り続ける。(桜井 克也)

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2016年8月8日のニュース