【それぞれの夏】日大高・宮田 スカウトの父から学んだ野球 将来は高校野球の監督に

[ 2016年7月28日 08:16 ]

<桐蔭学園・日大高>ソフバンク宮田スカウトの息子で日大高の五番・捕手の宮田翔平

第98回全国高校野球選手権神奈川大会準々決勝 日大高2―7桐蔭学園

(7月27日 横浜)
 最後の夏を終えた寂しさと悔しさがこみ上げた。日大高は準々決勝で桐蔭学園に2―7で逆転負け。ソフトバンク・宮田善久スカウトの長男・翔平は、目を真っ赤に腫らしながらもはっきりとした口調で振り返った。

 「ヒットはたまたま良いところに飛んでくれただけ。チャンスで打てなかったことが悔しい」

 「5番・捕手」で出場し、初回は四球を選んで好機を広げ、2点目に貢献。3回1死からは遊撃内野安打を放った。しかし、3回に6失点で逆転を許し、5点を追う7回1死満塁は遊ゴロ併殺。9回2死一、二塁では左飛に打ち取られ、最後の打者となった。

 小3から野球を始めたのは父の影響だ。父は元立命館宇治監督で、現在はパ・リーグ首位を快走するチームのスカウトとして全国を飛び回っている。中学時代はバッティングセンターで厳しく指導を受け「泣き崩れることもあった」と懐かしそうに回想する。

 父は仕事場であるバックネット裏スタンドから高校3年間で初めて愛息の試合を見守った。「ヒットが出てホッとしました。色々な方のお力添えがあってここまでこられた。支えてもらった感謝を後輩たちに恩返しできるように大学へ行っても頑張ってほしい」。いつもの鋭い眼光ではなく、父親の柔和な表情で愛息をねぎらった。

 翔平も「父には野球の独特の流れを教わりました」と感謝を口にした。胸には夢を抱えている。「父が監督だった影響もありますが、将来は高校野球の監督になりたい」。いつか指導者として自分が果たせなかった憧れの舞台へ。夏の終わりは大きな目標に向けたスタートとなる。

 ◆宮田 翔平(みやた・しょうへい)京都市北区生まれ。麻生小3年からみどり少年野球クラブで野球を始める。麻生中では緑東リトルシニアに所属。家族は両親、妹。1メートル77、80キロ。右投げ右打ち。

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