黒田が日米通算200勝達成 次は「大きな目標」25年ぶりVへ

[ 2016年7月24日 05:30 ]

<広・神>日米通算200勝目を挙げた黒田(前列中央)は記念Tシャツを着たナインと記念撮影

セ・リーグ 広島7-0阪神

(7月23日 マツダ)
 20年目で金字塔を打ち立てた。広島・黒田博樹投手(41)が23日、阪神戦で7回を5安打無失点の好投。今季7勝目を挙げ、日米通算200勝(日121、米79)を達成した。中日・山本昌以来、8年ぶりの「200勝投手」誕生で、日米通算での到達は野茂英雄以来、史上2人目となる。07年オフにフリーエージェント(FA)権を行使してメジャーに移籍したが、昨年、再び愛する古巣に帰ってきた背番号15。次の使命は、チームに25年ぶりの優勝をもたらすことだ。

 マツダスタジアムが荘厳な空気に包まれた。3万2000人超の大観衆が「おめでとう」と記されたポスターを揺らす。新井から花束を手渡されると、ナインが駆け寄った歓喜の中心で黒田の笑顔が輝いた。3度目の挑戦で手にした勲章。表情には安ど感がにじんだ。

 「まさかこういう日を迎えられるとは。最高のチームメートと最高のファンの前で、そして最高のマツダスタジアムで節目の勝利を挙げることができ、感動しています」

 打線の大量援護にも集中力を切らさず、左右高低の揺さぶりで連打を許さない。6回2死一、二塁では鳥谷、7回2死一、二塁でも荒木を、メジャーで習得した「フロントドア」で見逃し三振。三塁を踏ませず、魂を込めて投げた115球に、20年間で培った技と極意が凝縮されていた。

 背番号「1」を背負ったことのない上宮高の補欠から、メジャーリーグが認めたエリートへ――。大器晩成の野球人生を支えてきたのは、人一倍の反骨心と向上心だ。負けたくない。飛躍への原体験は04年夏にあった。

 「あれがなければ広島のエースで満足していたような気がします。あの経験で人生が変わった」

 銅メダルを獲得したアテネ五輪。先発陣に上原、松坂らが名を連ねる中、広島のエースは中継ぎに回った。「外のレベルの高さを目の当たりにし、それをどう受け止めて次に生かすか」。五輪の大舞台で先発を外れたことで奮い立った。タイトルを獲って実力を認めさせると誓い、05年の最多勝、06年の最優秀防御率につなげた。「最高峰の舞台で自分の力を試してみたい」。次のステージ、メジャーへの挑戦は自然な流れだった。

 日本ではフォーシームのきれいな回転の球ばかり練習していたが、移籍1年目にバットの芯をずらすツーシームを習得。ねじ伏せる投球スタイルを改めた。「そうしないと生き残れない」。一方では中4日での先発責任を果たすため、年間数千万円を自己投資しながら体調管理に努め、メジャーでは日本人初の5年連続2桁勝利を挙げた。

 広島で121勝、メジャーで79勝。日米通算での大台到達は、05年の野茂英雄以来2人目の快挙だ。日米を往復する中で、環境や体調の変化など直面する困難を乗り越え、41歳になった今も第一線で投げ続ける。誇るべき黒田の値打ちだ。

 「チームのために201勝目を目指し、また明日から準備したい。それ(200勝)以上の大きな目標があるので、そこに向かって皆で力を合わせてやっていければ」

 メジャーの高額オファーを蹴り、古巣復帰2年目に打ち立てた金字塔。だが、個人記録は眼中にない。2位・巨人とは今季最大タイの11ゲーム差。25年ぶりのリーグVへ。歓喜に包まれるその日に向かって、黒田は腕を振り続ける。(江尾 卓也)

 ≪最短M灯26日≫広島の最短マジック点灯は26日。24日、広島が阪神に勝ち、巨人がDeNAに敗れ、26日に広島が巨人との直接対戦に勝てばM38が出る。

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