恩師・トーリから黒田へメッセージ「日本に戻っても情熱失っていない 誇らしい」

[ 2016年7月24日 08:45 ]

地区優勝を決め、ジョー・トーリ監督(右)とともに笑顔を見せるドジャース時代の黒田(09年10月撮影)

セ・リーグ 広島7-0阪神

(7月23日 マツダ)
 最後にヒロキと話したのは、14年8月のヤンキースタジアムだったね。私の永久欠番セレモニーの日で、彼は登板日なのに、わざわざ祝福の言葉を伝えに来てくれた。200勝。数字はもちろん素晴らしいけど、同年齢の選手のほとんどが今では家でテレビを見ているというのに、以前と変わらぬ投球を続けていることが驚嘆に値する。ヒロキはMLBで成功し、自分の居場所をつくり上げたのに、日本に戻って依然野球への情熱を失っていない。誇らしいよ。

 異なる国の文化の中で野球をしてきた選手が、MLBに適応するのは大変なことだ。ヒロキも最初は戸惑ったと思う。だから、私たちはよく話し合った。チームが先発投手に何を求めるのか。ヒロキはMLBの登板間隔に着々とアジャストし、完投にこだわらず、登板試合は6回、7回を確実に投げ、チームに勝つチャンスを与えてくれた。
 
 ヒロキが仲間のために一人で立ち向かい、みんなの信頼を勝ち取った、あの試合は今でも忘れない。08年、フィリーズとのリーグ優勝決定シリーズ第3戦。相手投手はラミレスの背後に投球するなど危険球で威嚇してきたが、ドジャースの投手は何もしなかった。ヒロキは仲間を守るために打者の体の近くに投げた。前の試合で起きたことへの「報復」なんだと、相手にはっきり伝えた。その上で6回を投げきり、勝利をもたらしたんだ。

 この試合があったから、私は翌09年の開幕投手にヒロキを指名した。10年に私は監督を辞めたが、彼が12年にヤンキースに移籍した時、私は球団関係者に「彼はビッグゲームピッチャーで、プレッシャーにも強い。ヤンキースには重要な存在になるだろう」と保証したのを覚えている。私はヒデキ(松井)とも長く一緒にやったが、彼ら2人と出会えたことは幸運だった。共通点は重圧のかかる場面でいいプレーができたこと。だから信頼して送り出せる。監督にとって、そういう選手がいるのは本当にありがたいことなんだ。

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2016年7月24日のニュース