【それぞれの夏】帝京三 水上 2日前に死去の祖父思う「最終回は力を貸してくれた」

[ 2016年7月23日 15:36 ]

亡くなった祖父の名前「俊信」を帽子の裏に書いて、熱投を見せた帝京三のエース水上

第98回全国高校野球選手権山梨大会準決勝 帝京三0―4東海大甲府

(7月23日  山日YBS)
 その力投は、天国の祖父にきっと届いたに違いない。涙をこらえながら、山梨・帝京三のエース・水上由伸投手(3年)は思い切り腕を振った。

 東海大甲府戦(山日YBS)の9回。0―4とリードされていた。先発し、一度は左翼の守備に就いて再びマウンドへ。自己最速タイの144キロをマークして、打者3人で斬った。試合には敗れた。それでも「負けたのは悔しいけれど、自分の力は全て出し切った。悔いはないです」。そして「最終回はおじいちゃんが力を貸してくれたんだと思う。いい姿を見せられたかな…」。そう話す水上の目は、みるみるうちに涙で潤んでいった。

 祖父・俊信さんはわずか2日前、21日に74歳で亡くなった。13日の日大明誠戦で水上は2本塁打。祖父は長野県伊那市から観戦にやって来てくれていた。しかし、その後に熱中症などで体調を崩し、帰らぬ人となった。野球が大好きだった祖父。長野県の軟式野球で審判を務め、孫の水上も小さい頃から野球を教えてもらったという。この日、帽子のつばの裏に「俊信」と祖父の名前を書いてマウンドに上がった。そんな右腕が、思わぬアクシデントに見舞われたのは3回だった。

 先頭・萩原の強烈なライナーが右腰付近を直撃。ベルトの下、骨盤が突き出た部分に当たり、倒れた水上は猛烈な痛みでしばらく動けなかった。ベンチ裏での治療後は左翼の守備へ。そして9回、「行かせて欲しい」と志願してマウンドに上がった。右腰は大きく腫れていた。それでも、祖父のためにも投げたかった。力を振り絞った。

 98年生まれで、名前は「由伸」。巨人ファンだった父が、同年に巨人に入団した高橋由伸(現監督)にあやかって「高橋選手のようになって欲しい」との願いを込めて名付けたものだ。「次は上のレベル(大学)に行って活躍して、(祖父に)恩返しがしたい」。そう話した水上の目からは、もう涙は消えていた。次のステージを見つめる、若者の熱いまなざしだけがあった。

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2016年7月23日のニュース