【内田雅也の追球】球際で「あと少し」 阪神と広島の理屈を超えた勢いの差

[ 2016年7月23日 09:00 ]

<広・神>5回2死一、二塁、安部の打球に跳び付くゴメス

セ・リーグ 阪神2―4広島

(7月22日 マツダ)
 「球際(たまぎわ)」という言葉がある。ボールとグラブ、今ではバットなども接する時の「際」を指す。大リーグにはない、日本の野球用語である。

 巨人V9を率いた監督・川上哲治が使い始めた。川上自身が著書『遺言』(文春文庫)で<「球際のプレー」「球際の野球」というのはわたしの造語で、相撲の土俵際の強さから採ったものだ>と明かしている。

 <要は土壇場ぎりぎりまであきらめない、粘り強いプレーのことである。捕れそうにない球を飛び込んでいって捕って、捕れなければグラブではたき落としてでも食い止めるプロの超美技のことである。全盛期の長嶋はこうした守備を何度も見せた>。主に守備、それも内野手で球際をみていたことがわかる。

 この夜、阪神の内野手たちは、その球際で「あと少し」が相次いだ。

 2回裏、1死二塁、鈴木誠也のゴロは遊撃右に転がり、鳥谷敬が横っ跳びしたが、グラブのわずか先をすり抜け中前に抜けた。先制点を失った。

 5回裏、1死一塁でルナの二盗はタイミングはアウトに見えた。二塁カバーの鳥谷が送球を弾いてしまった。2死一、二塁となり、安部友裕の一塁左へのゴロはゴメス逆シングルの先を右前に抜けた。直後に押し出し四球で4点目を失った。

 わずかの差である。チームの勢いの差かもしれない。選手は懸命なのだが球際の強さ弱さは存在する。川上がその強さを認める長嶋茂雄は「燃える男」と呼ばれた。<土壇場まであきらめない>という精神だろうか。

 川上は現役時代、オフに禅寺で修業を積んだ。禅で得た野球哲学を『禅と日本野球』(サンガ文庫)に著した。<禅の世界で最も危険視するものは、理論による究明だと思う。禅は理屈ではない。禅の問答は論理的ではない>との下りがある。理屈や論理を超越した心の重要性を説く。

 敗戦投手の藤浪晋太郎だが、6回裏1死二、三塁からルナ、松山竜平を打ち取れた原因はフォームや制球以上に崖っぷちでの闘志ではなかったか。9回表、広島・中崎翔太が足に打球を受けてからの3連続三振には鬼気迫るものがあった。阪神も感じたはずである。

 「何とかせい」の島岡吉郎「人間力野球」を知るチーフコーチ・平田勝男に敗戦後、聞いてみようとしたが、やめた。答えは分かっている。根性論ではあるが、それも野球である。 =敬称略=
 (スポニチ本紙編集委員)

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2016年7月23日のニュース