ファンもリアルタイムで目撃「神ってる」鈴木誠也の成長物語

[ 2016年7月10日 09:30 ]

<神・広>7回1死一塁、鈴木が左越えに12号2ランを放つ

 男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ――。男たるもの、ほんの少し会わないだけで見違えるほど成長する、という。広島・鈴木誠也。生まれ故郷である東京の下町・荒川区町屋を遠く離れた広島の地で奮闘を続ける。そんな息子を、母・貴美江さん(51)は「大変な思いもしているんだろうな、と思います。でも、(活躍は)誇らしいです」と優しく見守っている。

 元気いっぱいで、やんちゃな子供だった。母は「本当に手がかかりました」と笑う。買い物に行けば、「あのお菓子がほしい!」と店の前で大の字になって手足をバタバタさせるのが常だった。そんな誠也もプロの世界に入り、20歳を過ぎた。昨年12月の誕生日。貴美江さんはハンドバッグをプレゼントされた。誠也が妹の彩絵さん(18)と相談して、母に内緒でサプライズで贈ったのだ。家族思いの、優しい長男の姿がそこにはあった。

 父・宗人さん(51)が「誠也が一番、変わった」と振り返るのが、東東京の名門・二松学舎大付の野球部で過ごした3年間だ。親元を離れて、千葉・柏での寮生活。実は宗人さんは同校の市原勝人監督(51)とは同い年で実家が近所、小学校の頃からの知り合いだった。「誠也に“社会に出たら”というのを教えてくれるのは市原さんしかいない。そんな人間力のある人」。数多くの強豪校から誘いがある中、懸命に勉強にも励んで二松学舎大付に進学したのはそれが理由だった。

 11年3月11日。東日本大震災が起こった。誠也は高校2年生になる直前だった。寮にいた息子から、宗人さんのところに電話が掛かってきた。「やっとつながった!」。心配で何度も、何度も掛けたのだろう。「お母さんと彩絵、頼むよ。守ってあげてよ」。そう言われた父は、自然と涙が流れてきたという。

 「お母さんは泣かすなよ、と口を酸っぱくして言ってきた。すごい優しい子なんです」。チームは現在、首位を快走する。誠也も「神ってる」活躍を続ける。球宴初出場も決まった。貴美江さんは、試合後などに無料通信アプリ「LINE」でやり取りをするのが楽しみだ。男子三日会わざれば…。鈴木誠也の成長物語。それは家族だけでなく、全国の野球ファンが一緒に、リアルタイムで目撃している。(記者コラム・鈴木 勝巳)

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2016年7月10日のニュース