オリ園部さまさま 支配下即プロ初出場V打 4日前まで育成の苦労人

[ 2016年7月4日 05:30 ]

<ロ・オ>7回2死一、二塁、決勝の左前適時打を放つオリックス・園部

パ・リーグ オリックス4―3ロッテ

(7月3日 QVCマリン)
 ヒーローは4日前まで育成選手だった。7回、同点に追いついてなお2死一、二塁。プロ初出場のオリックス・園部が、大谷の140キロスライダーを左前へ決勝打。試合後のインタビューで「積極的にいこうと思っていた。うれしいです」と初々しく答えた。

 貧打解消へ、福良監督がこの日から1軍に呼んだばかり。打撃練習を見るのも実は初めてだった指揮官だが「6番DH」で先発に抜てき。すると2回の第1打席でプロ初安打となる左前打。7回に決勝打も放った3年目の20歳に福良監督も「園部さまさま。大したものだよ」と最敬礼した。

 2歳のときに父が他界。母・知子さんに女手一つで育てられた。福島・聖光学院入学直前に東日本大震災で被災。一時は野球を断念することも考えたが、母の後押しもあって野球に打ち込んだ。「プロ入りは母への恩返し」と13年ドラフト4位で入団も、右肘痛に苦しんだ。入団1年目の8月に手術。同年オフに育成契約となった。同期の西武・森、楽天・松井裕が活躍するのをテレビで見る日が続き「悔しかったし、ケガをした自分がふがいなかった」。それでもリハビリを経て3年目の今季、2軍で結果を残してはい上がり、今月1日、再び支配下登録されたばかりだった。

 派手なデビュー。「展開が早いですね」と照れくさそうに笑ったが、初安打の記念球は「お母さんにあげます。1軍に上がるとなって急きょ、球場に来てくれたので」と即答した。中学の卒業文集に「HEROになりたい!」と記した園部が、低迷続くチームのカンフル剤となる。 (鶴崎 唯史)

 ▼オリックス・糸井(7回に同点打)何とか適時打になってくれて良かった。でも今日は園部やろ。

 ◆園部 聡(そのべ・ さとし)
 ☆生まれ 1995年(平7)11月10日、福島県いわき市出身。20歳。1メートル84、94キロ。右投げ右打ち
 ☆球歴 勿来一小5からソフトボールをはじめ、勿来一中時代は軟式野球部の「いわき松風クラブ」に所属し、全国8強入り。聖光学院では1年から4番を打ち、高校通算59本塁打。高校3年の9月には高校日本代表に選出され、18UW杯では主に5番打者として準優勝に貢献。13年ドラフト4位でオリックスに入団。
 ☆同期 チーム内では奥浪、若月、吉田雄。楽天・内田とは「いわき松風クラブ」で共にプレーし、松井裕、森とは日本代表で一緒。
 ☆背番号 入団時の44番は球団がブーマーのようになってほしいと願ったもの。育成選手時代の124番を経て現在は00番。
 ☆目標 メジャー通算555本塁打のマニーラミレスの打撃フォームを参考にすることも。プロでの目標は打点王。

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