後藤次男さんは「優等生」のヒーロー 愚直なまでの陰の努力

[ 2016年6月3日 09:40 ]

亡くなった後藤次男さん

交流戦 阪神3-0楽天

(6月2日 コボスタ宮城)
 【内田雅也の追球】試合前に後藤次男の訃報が球団発表となった。阪神OB最高齢、92歳だった。「仏のクマさん」と呼ばれ、温厚で、誰からも慕われた。

 監督を2度務めたが、ともに1年限りで退いている。最初の1969年(昭和44)は2位の好成績ながら、本社・球団方針で若き村山実に座を譲った。人が善すぎるという声が聞かれた。

 大リーグでは古くから「ナイスガイ(いい人)では勝てない」と言われる。後藤は単にいい人でお人よしだったのか。

 いや、秘めた闘志があった。一筆頼まれた際は「斗魂(とうこん)」と書いた。「ミスタータイガース」藤村富美男氏が好んだ言葉である。卒寿を前に甲子園の行きつけの喫茶店で聞いた。「結局、プロで生き抜くにはファイトですな。負けるか、こんちくしょう、ですよ」

 若き日、熊本工先輩の川上哲治(巨人)から「走って足腰を鍛えておけよ」と助言を受けると、自宅のあった大阪・淀屋橋から難波まで御堂筋を往復した。愚直なまでの陰の努力があった。

 また、この日はルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の命日でもあった。2130試合連続出場の大リーグ記録(当時)を持つ「鉄人」も筋萎縮性側索硬化症(ALS)に冒され、1941年、37歳の若さで逝った。

 翌42年、生涯を取り上げた映画『打撃王』が公開された。その優等生ぶりを新聞記者が「起きて歯を磨き、球場に行き、ボールを打ち、ホテルへ帰り、コミックを読んで寝るだけ」と酷評するシーンがある。遠征移動の列車内で、はちゃめちゃなベーブ・ルースが騒いでいた。当代一のヒーローとは好対照だが、ゲーリッグを理解する別の記者が「彼は真のヒーローになれる」と反論する。

 昔に比べ、今のプロ野球選手たちは実にまじめになった。阪神で言えば特に、キャプテン鳥谷敬やエース藤浪晋太郎が代表格である。普段から研究も練習も熱心で、羽目を外さない。

 この夜はそんな投打の優等生が活躍しての快勝だった。鳥谷は引っ張っての長打に流してのさく越え。藤浪は5回以降の15連続を含め、ゴロアウトは22個を数えた。

 鳥谷も藤浪も「仏」の温厚、愚直や「鉄人」の謙虚、誠実に通じる。ならば、秘めた闘志も陰の努力も相当である。表に出ない激情がほとばしったのだ。「真のヒーロー」である。 =敬称略=(スポニチ編集委員)

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2016年6月3日のニュース