清原元選手 初公判後に恩人死去していた…後援会立ち上げに奔走

[ 2016年6月2日 05:32 ]

04年12月、岸和田市民栄誉賞の授与式に出席した清原和博元選手(左)

 覚せい剤取締法違反罪でプロ野球の清原和博元選手(48)が懲役2年6月、執行猶予4年の判決を言い渡されてから一夜明けた1日、地元の大阪・岸和田市で発足した「清原和博君の更生を支援する会」の発起人の男性(76)がスポニチ本紙の取材に応じた。清原元選手を受け入れるため、大阪近郊で薬物依存の治療施設を探していることを明かした。また、プロ入り当初から引退直後まで支えてくれた恩人が判決前に死去していたことも分かった。

 発起人の男性は「(清原元選手が)岸和田に戻って来たらいつでも受け入れる」と強調。戻ってくるかは「まだ決まっていない」とし、弁護士から「本人の状態が落ち着くまで1、2カ月様子を見たい」と伝えられているという。現在、受け入れ態勢を整えているところで、薬物依存などの治療施設を岸和田を含めた大阪近郊で探している。男性は「支援する会のメンバーには医師や高野山関係者もいるので、サポート態勢は充実している」と訴えた。

 「清原和博君の…」は、東京地裁に清原元選手への寛大な処分を求める嘆願書を作成するために発足。岸和田の有志480人が参加した。

 立ち上げの中心になったのは、清原元選手がプロ入りした直後の1986年に岸和田で発足した後援会の関係者。発起人の男性は後援会の幹事だった。

 2月の逮捕直後に、清原元選手の父洋文氏に連絡。体調を崩している洋文氏に代わって、「地元でも支援できないか」と清原元選手の弁護士に相談。「300人以上の署名を集めた嘆願書を作成できるか?」との返答があり、4月10日から署名集めが始まった。約10日間で集まったのが480人分の署名。洋文氏も近隣を頭を下げて回り約180人分を集めた。

 初公判後の5月下旬には、後援会の事務局長を務めていた実原忠彰氏が他界する悲報にも見舞われた。後援会の立ち上げに奔走し、引退後の10年に解散するまで24年間にわたって清原元選手を支え続けた恩人の一人。転落劇に最も心を痛めていた人物でもあり、知人は「支援者であり大ファンだった。清原元選手が元のような姿に戻ることを心の底から願っていることでしょう」と語る。

 実原氏の葬儀には洋文氏も参列した。清原元選手にも、悲報は伝わったはず。地元の人たちの思いを受け止めながら、更生の道を歩まなければいけない。

続きを表示

「大谷翔平」特集記事

「始球式」特集記事

2016年6月2日のニュース