好調ロッテ支える70歳打撃投手 池田寮長、ストライク率9割超

[ 2016年4月26日 11:20 ]

ロッテ浦和球場で2軍の打撃投手を務める池田寮長

 古希の打撃投手――。ロッテの池田重喜寮長兼打撃投手(69)が、5月1日に70歳の誕生日を迎える。67年ドラフト4位で大洋(現DeNA)に入団。71年からはロッテで選手、そして裏方として長い長い野球人生を歩んできた。70歳にしてユニホーム姿で、打者を相手にさっそうとボールを投げる。その凄さと長寿の秘訣(ひけつ)とは。チームは現在、リーグ2位と好調。縁の下で支える「イケさん」に話を聞いた。(鈴木 勝巳)

 1メートル79、73キロ。細身の体に背番号110のユニホームがよく似合う。

 「年齢じゃなくて、見た目で判断してほしいなあ。みんなに年を分けてあげたいよ」。池田打撃投手の白髪交じりの髪は短く切られ、見るからに若々しい。生まれは終戦翌年の46年。「器用じゃないんだね。人生、これしかなかったんでしょう」。もうすぐ70歳。柔和な笑顔で野球にささげた半生を振り返った。

 2軍の試合開始の3時間前。約15分間、7~8秒に1球のペースでリズム良く、100球前後を投げる。「スピードは80~90キロとかかな?」と笑うが「ストライク率」は9割超。ロッテ浦和だけでなく戸田、西武第2、鎌ケ谷…。関東近郊の試合は、選手と一緒のバスで球場に向かう。登板前には体操、ウオーキングなどで準備。終わっても体操だ。「年齢的にね。動かないと筋肉が固まるから」。80年にトレーニング指導士の資格を取得。長くコーチも務めた。体への豊富な知識が長寿を支えてもいる。

 朝。目が覚めるなり、布団の中で腹筋、背筋、ストレッチなどを行う。万歩計を付け、一日に歩く歩数は1万4000~5000。毎日、入浴の際に体重を量ることも欠かさない。「05年の日本一になったオフに、体重が80キロぐらいまで太っちゃって…。医者にも痩せなさい、と言われてね」。以来、朝昼晩と食事のメニューは毎日メモしている。そのノートは10冊以上。タバコは吸わない。晩酌は楽しみの一つだ。「これだけ運動してるからかな。寝ようと思えば、休日は10時間ぐらい眠れるよ」と言う。

 「元気ですね」――。球団からそう言われ、「寮長兼打撃投手」という現在の肩書になったのは66歳だった12年から。それまでも現役投手、トレーニングコーチなどの傍ら、一心にボールを投げ続けてきた。新人だった68年6月14日の阪神戦(東京)で、投手ながら江夏豊からサヨナラ打。ロッテ時代の米キャンプでは、通算563本塁打の若きレジー・ジャクソンから4打数4三振を奪った。それでも、その長き野球人生はほとんどが黒子、裏方だった。

 「あっという間だね。人間、2人はいないから。たらればを言っても仕方がない。後悔もしていないし、道はこれしかなかったんだな、と」。座右の銘は「我、ことにおいて後悔せず」。昔は大打者を相手に投げ、今は18歳のルーキー・平沢らと時をともにする。

 「選手にとっては友達や親父…。兄貴、じゃないな。あと、おじいちゃんね。ファームで成長過程を見るのもうれしいよ」。親しみを込めて「イケさん」と呼ばれる池田打撃投手には、寮長としての喜びもある。自身の家族は都内に住む夫人に、息子と娘。孫はいない。「孫がいたら、野球で鍛えるつもりだったんですけどね。だから、選手が孫のようなものですよ」。時には寝過ごした選手を起こし、一緒に風呂で野球談議を交わす。初勝利、初安打…。寮生が1軍で結果を残した際のお祝いも大事な儀式だ。

 球界に身を置いて、来年で50年目になる。過去には肩を痛めたことも。これから何球投げるのか。「もういいでしょう(笑い)。70までやらせてもらって。辞めてくれ、と言われたら辞める。なるようにしかならないから」。泰然。それでも池田打撃投手の目は、少年のように輝いていた。

 ▼ロッテ・平沢 本当に凄い人。若い投手と変わらず、打ちやすい球を投げてくれる。70歳とは思えないほど若い。寮生の中で一人でも多く、そして僕も早く1軍に上がってイケさんに頑張っているところを見せたいです。

 ◆池田 重喜(いけだ・しげき)1946年(昭21)5月1日、大分県生まれの69歳。津久見2年夏の甲子園に出場。日本鉱業佐賀関では65年ドラフトで広島に15位で指名されたが入団せず、67年ドラフト4位で大洋(現DeNA)に入団。71年にロッテに移籍し、77年引退。通算成績は155試合で13勝12敗、防御率3・53。投手コーチ補佐、育成担当コーチなどを歴任。12年から寮長兼打撃投手。1メートル79、73キロ。右投げ右打ち。

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