自己犠牲、気配り…チームメートに引き継がれた木村拓也さんの「遺志」

[ 2016年4月22日 10:30 ]

今月2日に宮崎県内で行われた木村拓也さんの7回忌法要

 6年前の春。悲しい別れだった。前年に現役を引退して巨人の内野守備走塁コーチに就任したばかりの木村拓也さんが10年4月2日の広島戦(マツダ)前のシートノック中にくも膜下出血で倒れ、同7日に入院先で死去した。37歳の若さだった。今月2日には実家のある宮崎県内で七回忌法要も営まれた。

 木村さんは日本ハム、広島、巨人を渡り歩いた苦労人。投手以外の全ポジションを守り、巨人では07~09年のリーグ3連覇に貢献した。語り継がれるプレーは09年9月4日のヤクルト戦(東京ドーム)だ。阿部、鶴岡(現阪神)を使い切り、ベンチ入り最後の捕手の加藤が延長11回に頭部死球で負傷した。

 「俺しかいない」と決意した木村さんは加藤が打席に倒れると同時にベンチからブルペンに向かい、ブルペン捕手からプロテクターを拝借。12回の守備で自身10年ぶりに捕手で出場した。故障するリスクを承知でマスクをかぶり、価値ある引き分けに貢献。当時の原監督は木村さんをベンチ前で目に涙を浮かべて出迎えた。グラウンド内外で後輩の面倒見も良く、人望も厚かった。

 自己犠牲の精神と周囲への気配り。そんな「遺志」は当時のチームメートに引き継がれている。現在は主将で遠征先などで若手を積極的に食事に誘うなどチームをまとめる坂本は「タクさんは16歳も年下の僕を食事に誘ってくれた。グラウンドでも親身になっていろいろと教えてくれたし、教えてもらったことは今も生きていることばかり」と感謝する。亀井も「タクさんを近くで見ていたから“野球は9人でやるものじゃない”と思えるし、タクさんのように先発でもベンチスタートでもチームに貢献したいと思う」と言葉に力を込める。

 今年3月2日。東京・新橋駅から徒歩数分のビルに宮崎で獲れた新鮮な魚を使った料理が売りの居酒屋「やひろ丸 新橋港」がオープンし、阿部、坂本、亀井から祝花も届いた。宮崎では漁師でもあるオーナーの矢部智誠さん(42)は宮崎南高で木村さんの2学年後輩。同じ捕手で可愛がられた縁もあり、宮崎キャンプ期間などに生前の木村さんから巨人の食事会に呼ばれることもあった。

 矢部さんは言う。「選手の方々に花をいただけるなんて自分は幸せ者。これも木村さんのおかげ。今後も木村さんが残してくれた縁を大事にしたい」。「木村拓也」は人々の心の中で生きている。(記者コラム・山田 忠範)

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