「ここでやらなきゃクビ」鵜久森 1268日ぶり弾を生んだ強い気持ち

[ 2016年4月3日 08:40 ]

勝ち越しの左越えソロを放った鵜久森

 記者席から見たその弾道に、懐かしさを覚えた。3月30日、神宮球場で行われたヤクルト―阪神戦。ヤクルトを開幕5戦目にして12球団大トリの初白星に導く一発を放ったのは、今季からチームに加入した鵜久森淳志だった。

 新たな本拠地で初めてとなるお立ち台にも立った。ダイヤモンドを一周した感想を聞かれると「もう一度野球ができることをうれしく思って走っていました」と声を弾ませた。トライアウトを経験してたどり着いた新天地。移籍後初めてのその感触は、12年10月9日ロッテ戦(QVCマリン)以来、1268日ぶりのものだった。

 高校時代、済美(愛媛)の4番として名を馳せた。04年センバツ優勝、夏は準優勝。甲子園の本塁打数は5本を誇る。右の長距離砲と期待され、04年ドラフト8位で日本ハムに入団。しかしプロの世界で活躍するのは簡単なことではなかった。

 私は11年から13年まで日本ハムを担当した。11年にようやく生まれた鵜久森のプロ初本塁打は強く記憶に残っている。一度はファウルと判定された右翼ポール際の打球が、ビデオ判定で本塁打に覆ったからだ。鵜久森も「そのことは今でもよく言われるんですよ」と懐かしむ。この年に2本、そして翌年の12年に4本塁打を放ったが、その後の2年間はノーアーチに終わり、昨季限りで日本ハムを戦力外となった。

 4年ぶりのアーチを架けたこの日は、ヤクルトで初めてのスタメン出場だった。打った瞬間、ネクストバッターズサークルで日本ハム時代も同僚だった大引が誰よりも早く拳を突き上げていた。実は初回の守備に就く前には、こちらも日本ハム時代にともにプレーした今浪から「いけんのか!?」と気合を込めて送り出された。「ここでやらなきゃクビですよ!!」。そう叫んで左翼へ走っていた背番号「91」。強い気持ちが打球に乗り移ったに違いない。

 不思議な運命も交錯していた。鵜久森に、4年前に放った本塁打について尋ねると「もちろん覚えていますよ。不思議なものですよね」と笑みをこぼした。QVCマリンで左翼席へ突き刺したプロ通算6本目を放った投手は、当時ロッテの成瀬善久。4シーズンを経て同じユニホームを身にまとった。それどころかこの日先発して勝利投手となった成瀬と、2人並んでヒーローインタビューを受けた。

 プライベートでは3歳の双子の女の子のパパ。移籍後初本塁打は「寝ていて見ていないみたい」と残念そうだった。「未完の大器」と呼ばれ続けた鵜久森もプロ12年目、29歳を迎えた。一瞬の輝きで終わるつもりはない。野球ができる喜びに満ちあふれる男は、新天地で手にしたチャンスを手放すわけにはいかない。(記者コラム・町田 利衣)

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2016年4月3日のニュース