【甲子園百景】甲子園は少年を大人にする 1日で成長した智弁学園V戦士

[ 2016年4月1日 14:50 ]

<智弁学園・龍谷大平安>9回1死一塁、中前打を放つ智弁学園・中村晃外野手

 第88回センバツ高校野球は奈良の智弁学園が決勝で高松商を延長の末サヨナラ勝ちで下し、初優勝を飾った。取材をしていて、たった1日で劇的に変わった少年の話を書く。

 30日に行われた準決勝第1試合は近畿勢同士の智弁学園―龍谷大平安。この試合、智弁学園は8番に初めて背番号13の中村晃外野手(3年)を起用した。小坂将商(まさあき)監督(38)が「あいつの気合をかった」というのが起用理由だ。昨秋の近畿大会、準々決勝で対戦したのが大阪桐蔭。序盤から失点を重ね、コールド負け寸前の試合で、中村は大阪桐蔭の左腕・高山優希(3年)からヒットで出塁、このチャンスから2点を返しあわやコールド負けを阻止した。もしコールド負けしていればセンバツの選考から漏れ甲子園の土を踏むこともなかっただろう。

 龍谷大平安のエースも同じ左腕の市岡奏馬(3年)。前日(29日)に先発を言われた中村は緊張と不安でほとんど眠れない状態で朝を迎えた。朝食も無理矢理食べたが、トイレに行っておう吐するなど、最悪のコンディション。案の定、不安がプレーになって表れた。3回1死1塁、龍谷大平安の4番橋本の左前打を処理を焦って後逸。一塁走者が一気に本塁に還り痛恨の先制点を与えてしまった。

 「平安は走塁もスキを突いてくるから、早く返球しないとと思って焦ってしまった」中村は自分が犯したミスに泣きそうな思いのままベンチに戻った。1番の納(おさめ)大地(3年)はじめナインは中村の肩を抱いて「気にするな、大丈夫や。絶対取り戻せるから」と励ましてくれたが、市岡の前に0行進。回を追うごとに「チームの顔に泥を塗ってしまった」と中村の心境は絶望へと傾いていった。

 一塁アルプス席では中村の両親、姉が観戦していたが顔を覆って号泣。こちらも可愛い息子、弟のミスにまともに試合を見られないでいた。

 そして迎えた9回。先頭の村上頌樹(しょうき)が三振に倒れ1死。もうダメか!しかし智弁学園は奇跡を起こす。7番大橋が中前に安打を放ち出塁。ここで中村に打席が回ってきた。

 「1死でしたけど、バントのサインが出るんじゃないかと思ってました」バントを決めるぞ!と打席に向かった中村の視線の先に見えたのは、小坂監督がユニホームの胸を叩く姿だった。

 「気合で行け!」言葉は聞こえなくても、中村には監督の思いが十分に伝わった。市岡の初球チェンジアップに「気がついたらバットが出ていた」という当たりは、大橋と同じく中前へのクリーンヒット。青木も右翼へのヒットで続き、1死満塁。そして中村の肩を抱いて励ました納がサヨナラの中前打を放った。

 「ボクの人生で初めて頭が真っ白になりました。ああ、真っ白ってこういうことなんや、と初めてわかりました」二塁からサヨナラの走者となった中村は土煙をあげて本塁に突っ込んだ。あとはよく覚えていない。わかったのは勝ったということだけだった。中村のミスで号泣した家族は、今度はうれしい号泣。39000観衆が見守った試合は劇的な幕切れとなった。

 あれほど緊張と不安で眠れなかった男が、決勝戦の試合前は「昨夜は逆にワクワク感で眠れませんでした。朝食?きょうはおいしく食べれました」と晴れやかな表情で言った。高松商との決勝戦でも8番左翼でスタメン出場。2回の1死一、三塁のチャンスでは0―2と追い込まれながら、セカンド右に転がし、一塁へヘッドスライディング。併殺崩れで貴重な先制点を挙げた。この1点が延長戦でのサヨナラ優勝につながった。

 紫紺の大旗に優勝メダル。17歳の少年がたった1日で味わった地獄と天国。「みんな仲がいいし最高のチームです」。甲子園は少年を大人にする。私は中村を見ていて、その言葉を実感した。(特別編集委員 落合 紳哉)

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