異例の抜てき…広島・水本2軍監督が“出世街道”を歩いたワケ

[ 2016年3月13日 08:00 ]

佐々岡を背負う水本勝己ブルペン捕手=2003年撮影

 阪神・掛布雅之、中日・小笠原道大、オリックス・田口壮――。ウエスタン・リーグでは今季、そうそうたる顔ぶれが2軍監督としてデビューするが、広島では対極に位置する男がその要職に就いた。水本勝己――。エポックメーキングな人選と言っていいだろう。当の本人が驚きを隠さない。

 「言われた時はビックリしましたよ。ボクにはトラウマがある。選手時代に上でやったこともない人間が、こういうポストに就いていいのか…」

 確かに経歴は異色だ。倉敷工―松下電器(現パナソニック)を経て、89年にドラフト外で入団した47歳。同期には佐々岡真司、前田智徳らがいるが、水本自身に1軍出場歴はなく、2軍でもわずか39試合に出たのみ。2年で早々と現役を退き、ブルペン捕手として長くチームを支えてきた。

 日本球界の慣例に従えば極めて異例の抜てき。その裏には選手時代の実績にとらわれない、球団フロントの柔軟な姿勢があった。「厳しさと優しさがあり、下積みの時代から選手を叱咤激励していた。人間としての幅も持っている」。鈴木清明球団本部長は水本の起用理由をそう説明する。

 同感だ。上から目線で失礼ながら、水本の長所はバランス感覚。よかれと思えば黒田博樹、新井貴浩らにも臆せず苦言を呈し、彼らの信頼は変わらず厚い。07年にブルペンコーチ補佐の肩書きが付いて以降は、本人が望むと望まざるにかかわらず、とんとん拍子で“出世街道”を歩んだ。

 「プロ野球の世界に入って本当によかったと思います。現役時代はいろんな指導者に出会い、考え方とかいろんなことを勉強させてもらった。プラスになることが多かった」

 最も影響を受けたのは元監督の故三村敏之氏だった。阪神・金本、広島・緒方両監督をはじめ、同氏を慕う指導者は少なくないが、水本もその1人だ。三村氏に習って読書を欠かさず、最近では「置かれた場所で咲きなさい」(ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子著)を読んだという。

 「三村さんはボクが1軍でやっていなくても、言わせる雰囲気を持ってくれていた。ボクもそうありたい。意見に感謝の気持ちを持って耳を傾けつつ、判断と決断をどう下すか。それがボクの仕事なので、勉強しなくちゃいけない部分ですね」

 勉強意欲、吸収意欲が旺盛で、人をいかに動かすかを考え、言葉遣い一つにも注意を払う。名選手は名監督にあらず…とよく聞くが、実績のある選手が名指導者になるとは限らない。人の痛みがわかる苦労人の挑戦にエールを送りたい。(記者コラム・江尾 卓也)

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2016年3月13日のニュース