不屈!3度の戦力外通告経て高校教師へ

[ 2016年3月13日 05:30 ]

愛知東邦大学正門で笑顔を見せる木下達生さん

 受けた大きな思いやりを今度は後輩たちに返す立場になった。前回出場した05年の第77回選抜大会で母校をベスト8に導いた元エース・木下達生は(28)は愛知東邦大学の人間学部人間健康学科で教員資格の取得を目指しながらコーチとして部員の指導にも当たっている。

 「森田監督にはことあるごとに相談にのっていただいていましたから。3度目の戦力外通告を受けた時も身の振り方を相談していたんです。その時に“指導者としてやってみては”と言っていただきました。今は監督として采配を振るうというよりは、選手を育成したいと思っています。胸を張って言えることではないのかもしれませんが、プロにいた7年間はずっとファームの生活だった。つまり育成の場を見続けてきたことになりますよね。指導者を目指す今となってはそれがすごく大きな財産になっているんです」

 甲子園での活躍もあって05年高校生ドラフト3巡目で日本ハムに入団した。翌年8月には西武戦で初先発。2年目の07年5月にはソフトバンク戦ではプロ初勝利を完封でマークした。順調にプロ生活を歩めるかに見えたが、思わぬ故障に見舞われた。6月に原因不明の右脇腹痛を発症。その後は度重なる足の故障などもあって10年には1度目の戦力外通告を受けた。そのオフのトライアウトで中日に育成選手として入団。しかし、1試合1イニングを投げただけでそのオフには2度目の戦力外通告。またトライアウトを受けヤクルトに入団。そのオフに3度目の戦力外通告を受け、プロ野球界から身を引いた。

 「右脇腹痛は本当に原因が分からなかったんです。どんな検査を受けても原因が特定できなかったです。治ったと思って投げるとまた痛くなる。その繰り返しでした。中日やヤクルトの時には投げられるようにはなってはいましたけど…。なんだったんでしょうかねぇ」

 しかし、故障に悩まされたことで自身の体と向き合うこともできた。高校時代からトレーニング理論を学ぶことに興味はあった。しかも、所属していたのはあのダルビッシュを育てた日本ハム。球界屈指の充実した施設、さらには高校時代同様に指導者にも恵まれた。

 「日本ハムでは吉井理人さん(注1)というすばらしい指導者がいた。吉井さんは打たれた後でもすぐにチャンスをくれた。打たれたことを怒るのではなく、反省会でどうしてそうなったのかを指摘してくれました。また、中日では稲葉光雄(注2)さん。稲葉さんは根気よくずっと寄り添ってくれました。それが本当に勉強になりました。森田監督もそうなんですがいい指導者は“声かけ”が本当に上手なんです」

 後輩たちに接する際に心がけているのはまさにその点だ。聞く態勢に入っていない選手には何を説いても頭には入らない。自ら聞きたいと思わせるにはどうするか?今はタブレット型のパソコンを積極的に活用。ブルペンで投球フォームを撮影し、その動画をラインで各選手に送信し、自分自身の投球フォームを確認させている。自分の思い描いているイメージと実際の投球フォームがどう違うのか?を自ら分析させているのだ。気づきがあって知識を得ようとする―。グラウンド内外でその環境作りに心を砕く日々を送っている。

 「大学では心理学も勉強しています。この第三者の目線で観察させるというのが大切だということを知りました。それにタイミングもありますよね。どのタイミングで指導すればより知識を吸収できるようになるのか…とか。社会人を経験した後で大学に入っているので目的が明確なんです。何を学びたいのか、今は何を勉強すべき時なのかがはっきりしている。海外では当たり前のことになっているでしょうが、日本では少数派ですよね。でも、社会人からまた大学生という道は有効だと思います」

 今年4月からは最終学年に入る。目下、一足早く卒業論文の執筆に取り組み、その一方で米国に本部を置く日本ストレングス&コンディショニング協会が認定するトレーニングコーチの資格取得も目指している。選手のことを本当に思うからこそ、学ぶ姿勢はどんな学生よりもどん欲だ。

 (※注1)吉井 理人(よしい・まさと)1965年(昭40)4月20日、和歌山県生まれの50歳。箕島から83年ドラフト2位で近鉄入り。ヤクルトを経て98年からメッツ、ロッキーズ、エクスポズでプレー。メジャー通算162試合32勝47敗、防御率4・62。03年に日本に復帰しオリックス、ロッテでプレーした。07年引退。日本通算385試合89勝82敗62セーブ、防御率3・86。08年から12年まで日本ハム、15年はソフトバンクでコーチを務め、今季は4年ぶりに日本ハムコーチに復帰。右投げ右打ち。

 (※注2)稲葉 光雄(いなば・みつお)1948年(昭32)10月2日、静岡県生まれ。清水工から日本軽金属を経て70年ドラフト2位で中日入り。77年に阪急、84年に阪神へ移籍し同年限りで引退。通算331試合104勝80敗2セーブ、防御率3・44。86年から中日、98年から01年まで日本ハムのコーチを務め、09年に中日2軍投手コーチとして復帰。12年8月11日の試合中に体調不良を訴え、緊急搬送されたが同日のうちに脳内出血で死去。63歳だった。

 ▽木下 達生(きのした・たつお)1987年(昭62)11月28日、愛知県名古屋市生まれの28歳。東邦では2年春、3年春に甲子園出場。05年高校生ドラフト3巡目で日本ハム入り。07年5月19日ソフトバンク戦(ヤフードーム)にプロ初完投初完封で初勝利。11年に中日、12年にヤクルトへ移籍し同年限りで引退。通算8試合2勝2敗、防御率3・43。右投げ右打ち。

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2016年3月13日のニュース