巨人・鈴木尚広を救った言葉 震災で無力感も「野球をやることが使命」

[ 2016年3月12日 11:45 ]

昨年11月、陸前高田市で行われたマラソン大会に応援ランナーとして参加した鈴木尚

 忘れることのできない日からちょうど5年。福島県相馬市出身の巨人・鈴木は、この年月の持つ意味を考えていた。「重みのある時間。短いとか長いとか簡単には言えない」。そして胸の奥に刻まれた記憶を回想した。

 「今まで経験したことのない大きな不安が一気に押し寄せてきた」

 東日本大震災の発生時、鈴木は広島とのオープン戦でマツダスタジアムにいた。選手ロッカーのテレビに映された光景は受け入れがたいものだった。両親や姉弟は無事だったが被災し、実家は傾いた。「自分だけ遠くにいて、どれだけ大変だったのか感情を共有できない…」。疎外感のような複雑な感情が芽生えた。

 そんな時、弟・秀尚さんの言葉に救われた。「お兄ちゃんは野球をやることが使命。お兄ちゃんにしかできないことをやって」。自然と涙がこぼれた。震災発生から2週間後、初めて帰省し避難所を回った。無力さを感じる一方で、「プロ野球選手だ!」と喜んでくれる子供の笑顔に触れた。

 昨年11月、岩手県陸前高田市で震災後初めて開催された市民マラソン大会に応援ランナーとして参加。現在も仮設住宅で暮らす被災者と触れ合い「前を向いて力強く突き進む魂を感じた」という。同12月には中国・上海で復興支援チャリティーイベントを初めて開催。「子供たちがスポーツに夢中になって、リフレッシュできる時間をつくってあげたい」との思いを込め、収益の一部を充て、運動用具(80万円相当)を福島県に寄贈した。

 今年のオフは、タイ・バンコクでチャリティーイベントを行う予定。巨人のユニホーム姿で現地の日本人学校の生徒と交流し「一生の思い出をつくってあげたい」と話す。上海と同様、収益の一部は復興支援などに役立ててもらう意向だ。

 プロ20年目を迎えた足のスペシャリストは「福島出身のプロ野球選手」であることに誇りを持つ。今年5月18日に福島市でDeNA戦が行われる。盗塁を期待する地元ファンの思いを受け止め「いつも大声援をいただいてうれしい。自分の仕事ができれば」と静かに闘志を燃やす。故郷の人に地道に努力を重ね、夢や希望を持つ大切さを伝えたい――。強い思いを胸に背番号12は走り続ける。 (青木 貴紀)

 ◆鈴木 尚広(すずき・たかひろ)1978年(昭53)4月27日、相馬市生まれの37歳。相馬では遊撃手兼投手で甲子園出場はなし。96年ドラフト4位で巨人に入団。08年にゴールデングラブ賞獲得。通算成績は1086試合で打率・265、10本塁打、74打点、218盗塁。代走からの122盗塁はプロ野球記録。1メートル80、78キロ。右投げ両打ち。

 ▽相馬市 福島県の東北端に位置し、西に阿武隈山地、東は太平洋を望む。東日本大震災時は震度6弱。今年3月9日時点で486人が死亡、4人が重傷、7人が軽傷を負った。住宅は1004棟が全壊、833棟が半壊、3397棟が一部破損の被害を受けた。現在も259人が仮設住宅で生活している。今年3月1日時点の人口は3万5917人。

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