行方不明の母の言葉胸に…釜石エース岩間 勝って「歴史つくりたい」

[ 2016年3月12日 08:00 ]

小豆島高校との21世紀枠対決が決まり、神戸市内の宿舎で気勢を上げるエース岩間(前列右から3人目)ら釜石ナイン

 第88回選抜高校野球大会(20日から12日間、甲子園)の組み合わせ抽選会が11日、毎日新聞大阪本社オーバルホールで行われた。20年ぶり2度目の出場となる釜石(岩手)は、初出場の小豆島(香川)と対戦。3年ぶり2度目となる21世紀枠で出場する高校同士の対戦となった。東日本大震災から5年の節目を迎えたこの日、釜石のエース岩間大投手(3年)は被災して行方不明の母・成子さん(当時44)に同校の聖地初勝利を届けると誓った。

 震災から5年を迎えたこの日の早朝、岩間は釜石市の自宅でそっと目を閉じ、母・成子さんの写真に語りかけた。

 「思い切ってプレーしてくるよ。自分が活躍して絶対に勝つね」

 午前7時に学校をバスで出発。新花巻駅からは東京駅経由で新幹線を乗り継ぎ、約9時間かけて関西入りした。東京へ向かう道中、仲間とスマートフォンで抽選会の動画中継を見つめた。小豆島と対戦が決まると「想像してなくてびっくりした」と言うが、次々と「絶対勝つぞ!」と声が飛び交い、気持ちは一気に盛り上がった。

 地震が発生した午後2時46分。関西行きの新幹線の中で、小学6年だったあの日のことを思い返した。学校の体育館で大きな揺れに襲われた。黒い津波が約10メートル手前まで押し寄せ、慌てて高台へ向かって走りだした。「死に物狂いだった。足が濡れた子もいた」。家族の安否も分からぬまま、学校近くの民家に同級生ら10数人で身を寄せ合い、眠れぬ夜を過ごした。

 「1時間が1日に感じた」。数日後に父や兄姉と再会。しかし、母だけ情報がなかった。ラジオの安否情報に耳を傾け続け「イワマ…」と聞くたびに期待したが、つらい現実を突きつけられ「何度も落ち込んだ」と振り返る。「時間の経過とともに(母の生存は)無理かなと思った」。悲しみはいつまでも消えない。だが、現実と向き合う覚悟を決めた。

 スタンドで声をからして応援する姿が脳裏に焼き付いている。母は試合に欠かさず足を運んでくれた。ある日、チームメートが失策してふてくされていると「野球は一人ではできない。仲間の気持ちをくみとって助け合ってやりなさい」と怒られた。今でもその言葉を胸に刻みマウンドに上がっている。

 今大会最年少の佐々木偉彦監督(32)は今月上旬、部員を集めて言った。「被災地のためにという思いは当たり前だけど、自分たちのために取り組もうよ」。余計な重圧を取り除くためだった。「復興の光になれなんて背負わすことはできない。プレーする姿が結果的に勇気を与えることになれば」。21世紀枠対決となり「ワクワクしますね」と話し、「もう一度、震災や被災地を見ていただければ」と訴えた。

 岩間は母の写真を自宅に置いてきた。「自分一人で何でもできるようになりなさい」と母にいつも言われていたからだ。釜石の聖地初白星に向けて「エースとして勝利をたぐり寄せて歴史をつくりたい。ひたむきなプレーで結果的に被災地の方々に元気を与えられれば」と言葉に力を込めた。 (青木 貴紀)

 ◆岩間 大(いわま・だい)1998年(平10)5月31日、岩手県大槌町生まれの17歳。赤浜小1年から安渡野球スポーツ少年団で野球を始める。大槌中では野球部に所属。釜石では2年秋から背番号1。最速130キロ、変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップ。遠投90メートル、50メートル走6秒4。1メートル71、63キロ。右投げ右打ち。2歳上の兄は釜石の元主将。

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