釜石・菊池主将が被災体験語る…一度は諦めた野球 感謝の思い

[ 2016年3月11日 00:46 ]

自身の被災体験を語る釜石の菊池智主将

 第88回選抜高校野球大会(3月20日から12日間・甲子園)の組み合わせ抽選会が11日午前9時から、大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールで行われる。10日は出場全32校の主将が交流する「キャプテントーク」を同ホールで開催。

 11日で発生から5年を迎える東日本大震災で甚大な被害を受けた釜石の菊池智哉主将(2年)は約5分間にわたり、自身の被災体験を振り返り、他校の主将は真剣な面持ちで耳を傾けた。菊池智主将のスピーチ全文は以下の通り。

 「私は5年前の3月11日、あの東日本大震災の被害を受けました。当時、私は1週間後に卒業式をひかえ、学校も午前中に終わり、校庭で友達と遊んでいました。そして地震が発生しました。震度7の揺れが5分以上も続き、私たちは不安にかられ、30分後には津波が町をのみ込みました。自分たちが住んでいた町が海になり、一面が黒い海水と大量のがれきで埋まりました。あんな思いだけは二度としたくないと今でも強く思います。

 そして、地震はさらなる不安を招きました。家族の安否です。私は1人でその日の夜を過ごしました。みなさんは自分の家族が亡くなったかもしれない夜を1人で過ごす大変さは分からないと思いますが、私はそのとき、ものすごい絶望感と不安に襲われました。その日の夜がとても悲しくてたまりませんでした。あんなにも家族に会いたいと思ったことはありません。翌朝、家族と無事に再会できたときはとてもうれしかったです。

 しかし、町を見たとき、周りの家がなくなり、道路の一部が決壊し、前日までの釜石とは思えませんでした。津波は多くの家や風景、そして命を奪ったのです。信じられませんでした。避難所ではライフラインが途絶えた状況が1カ月ほど続き、本当に苦しい毎日でした。毎食おにぎり1個と味噌汁、水もみんなで回して飲み、お風呂も震災発生から1週間以上入れず、外に出ても油の臭いや津波の影響で家の屋外が腐敗した臭いが漂い、凄いストレスがたまりました。その影響もあり、体重が10キロも減りました。

 そんななか、中学校に入学し、部活動の選択をしなければいけない時がきました。私は一度は諦めました。道具集めや遠征費で親に迷惑をかけてしまうと思ったからです。それでも野球を続けられたのは両親の支えや昔の先輩の支え、そして何より全国各地からのたくさんの支援があったからだと思います。あの支援がなければ今私がここにいることはないですし、いろんな人たちと野球を通して関わることはありませんでした。心から感謝しています。

 震災から明日(11日)で5年。私の住む釜石はかさ上げ工事がまだ終わらず、道路の整備もまだ完璧には行われていません。釜石を通る三陸鉄道や道路の冠水もついこの間、終わったところです。まだまだ野球部の中にも仮設住宅に住んでいる人もいます。本当に復興はまだ始まったばかりです。私たちは今回のセンバツで、少しでも被災地の方々へ元気を与えられるよう、そして、多くの支援をしてくださった全国の方々へ感謝を届けられるように、選抜大会では全力でひたむきなプレーをしたいと思います。きょうはありがとうございました」

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2016年3月11日のニュース