険しい復興の道…楢葉町初のプロ野球選手 プレーで地元に「希望を」

[ 2016年3月9日 09:55 ]

<オ・広>8回から登板した赤間は1回を2失点

【震災から5年 野球人として(2)】 福島第1原発事故により、険しい復興の道を歩む楢葉町。同町出身で初めてプロ野球選手となったオリックスドラフト9位・赤間(鷺宮製作所)の耳に残っている言葉がある。

 「君が頑張ることで喜んでくれる人たちがいるから」。昨年12月24日。地元での激励会で、松本幸英町長から掛けられた言葉だった。25歳でようやくプロ入りの夢をかなえた右腕は、特別な使命感も背負うことになった。

 東日本大震災で故郷は様変わりした。福島第1原発からほど近い実家は瓦などが崩れ落ちて半壊。その後解体された。東海大野球部の沖縄キャンプ中だった赤間は、原発事故の影響で地元に帰ることも許されなくなった。楢葉町の避難指示が解除されたのは、昨年9月5日。その3カ月後の激励会。震災2カ月前にあった成人式以来という帰省で目にしたものは、変わり果てた街並みだった。人はまばらで、広がる除染廃棄物の仮置き場。「不思議な感じがしました。本当にここが自分の故郷なのかなと…」。楢葉中時代に寄り道した下校路など「一番思い出の強かった」という景色は面影を残していなかった。

 現在も、父・雄二さんは福島県いわき市の仮設住宅、母・貞子さんは千葉市で避難生活を送っている。離れ離れになった家族が久しぶりに集まったのが、昨年12月、大阪市内での入団会見。「プロ野球選手は勝つことやプレーすることで勇気や力を与えることができる存在。そういう思いを持ってやりたい。1軍で活躍して、福島や東北にいる人に希望を与えたい」と赤間は誓った。同じ震災の爪痕が残る神戸で、プロ生活をスタートさせたのも運命だ。

 ドラフト9位も最速148キロの直球が武器。キャンプ2軍スタートも紅白戦で好投して1軍昇格。オープン戦での投球に福良監督も「力は十分にある。中継ぎの争いの中に入ってきた」と評価して目標の開幕1軍に大きく前進した。背番号は60。復興を本格的にスタートさせた楢葉町は今年、くしくも町制施行60周年を迎えた。(鶴崎 唯史)

 ◆楢葉町 福島県東部、太平洋に面した浜通り地方のほぼ中央に位置する。1956年に木戸村と竜田村が合併して誕生した。面積は103・45平方キロメートル。人口7379人(2月1日現在)。東日本大震災では11人が津波で亡くなり、2人が行方不明。他に121人が震災関連で亡くなっている。松本幸英町長(55)。

 ◆赤間 謙(あかま・けん)1990年(平2)11月14日生まれの25歳。小1から野球を始め、相双中央シニアでエースとして活躍。1歳下で浪江町出身の横山(楽天)とチームメート。東海大山形では甲子園出場なし。東海大を経て鷺宮製作所に入社。14年の都市対抗はセガサミーの補強選手として出場。昨年ドラフト9位でオリックスに入団。1メートル80、80キロ。右投げ右打ち。

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