【イマドキ仕事人】MLBブルペン捕手・植松泰良 芯と音で心をキャッチ

[ 2016年2月22日 11:03 ]

故郷・館山の海岸で仕事人の醍醐味を語る植松さん

 野球の最高峰・大リーグ(MLB)で日本人がプレーする姿は、もう当たり前のようになった。球団スタッフとして働く日本人も少なくない。その中でも異色な存在が植松泰良(たいら)(32)だろう。2008年から9年連続でサンフランシスコ・ジャイアンツのブルペン捕手を務めている。いったい、どんな仕事をしているのだろう?

 ジャイアンツのキャンプはアリゾナ州スコッツデールの球団施設で18日から始まった。「昨年10月に今季の契約を済ましてあります。もう9年目ですね…」。感慨に浸っている時間はあまりない。彼に課せられた仕事は予想以上に多いからだ。

 起床は朝の4時半。アスレチック・トレーナーの資格も持っているため、球場で朝7時から始まるトレーナー・ミーティングに参加しなければならない。若手選手はすでに球場入りして早朝練習の準備に入っている。そんな彼らの体のケアもしつつ、投手の投球練習が始まればユニホームに着替え、ミットを手にブルペンへ。時には打撃投手もこなす。用具の整理など雑用も多く、仕事はなかなか終わらない。

 選手がゴルフに出かける午後は自身のトレーニングに努める。裏方とはいえ1シーズン乗り切る体力づくりは必須だ。「球場を出るのは夜8時くらい。それから夕食をとり、ホテルの部屋に帰ってばったり寝る」。翌朝は朝4時半起きが待っている。これが3月下旬までの約1カ月半、続く。

 千葉県館山市の生まれ。中学時代までは投手、捕手として名の知れた存在だったが、強豪の西武台千葉に進学後は甲子園どころか公式戦出場すらかなわなかった。

 卒業後は野球をあきらめ、中学時代に得意だった英語を生かし、米国に留学。南イリノイ大でアスレチック・トレーナーの資格取得の実習をこなしている間に、マイナー球団の手伝いを始めた。仕事ぶりが認められ、同大野球部監督のつてでジャイアンツ傘下3Aでの職を紹介された。本来はトレーナーとしてだったが、日本での経歴を生かしてブルペン捕手ができる、という二刀流が「売り」になった。

 07年夏、親球団の本拠地・サンフランシスコで開催されたオールスター戦で植松の運命が変わる。ブルペン捕手の数が足りず、急きょ呼び出されたからだ。4万観衆が見つめる華やかな舞台でリーグを代表する投手の剛球を難なく捕球し「自分もメジャーに行ける」と確信する。翌08年春、藪恵壹投手の開幕メジャーを機に植松もジャイアンツ昇格。昨年まで8シーズン連続でフル稼働した。

 選手時代、何の実績もなかった植松がここまで生き残っているのには理由がある。トレーナーの資格があること。日本人選手が在籍する場合、通訳業も兼務できること(過去には田中賢介=現日本ハム=、青木宣親=現マリナーズ=がいた)。ただ最大の理由は「どんな球でも大きな音を出し、芯で捕球できる」能力だ。

 米国では景気のいい音を立てて捕球する習慣がない。バッテリーの主人公は、あくまで投手だからだ。ところが日本では捕手の役割が大きい。速球はもちろん、いかなるくせ球もミットの芯でバスンと音を立てながらキャッチする必要がある。小さい頃から日本で野球を学んだがゆえのメリットだ。実際、ブルペンで植松相手に投球する投手は「きょうは調子がいいな」「球が走っている」と上機嫌になるという。気分アゲアゲでマウンドに向かい、相手打線を抑えるのをブルペンから見るのが植松にとって至福の時だ。

 「自分の趣味を仕事にしているのは幸せですが、やはり自分の仕事によってチームが勝つ環境をつくっているというのが醍醐味(だいごみ)でしょうね」

 4月開幕の公式戦になると、さすがに4時半起床の生活からは解放される。「だからシーズン中の方が楽なんです。キャンプ中の今は…地獄ですかね」と苦笑。その表情は充実感に満ちあふれていた。 =敬称略=

 ≪年収は秘密も…ボーナスでかい≫植松は年収について「それは言えませんけど、実はボーナスが大きいんです」と話す。ポストシーズンに出場したチームにはリーグからばく大な分配金が支払われ、これを選手、スタッフで「山分け」する。ジャイアンツは植松在籍中に10、12、14年と3度の世界一に輝いており、選手数で単純に割ると1シーズンあたり一人約3000万~4000万円。ブルペン捕手とはいえ、かなりの額をゲットしたはずだ。

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