近年の大学野球支えた大功労者…南原さん乾杯の音頭、忘れない

[ 2016年2月22日 08:52 ]

 突然の訃報に言葉を失った。それは2月16日の夕方のこと。全日本大学野球連盟副会長の南原晃さんが15日に肺腺がんで亡くなったことが公表された。82歳だった。その日はちょうど、同連盟が主催する冬季特別トレーニングがジャイアンツ球場で開催されていた。1年前、底冷えのする同球場に颯爽と現れた南原さんの姿を思い出した。慌てて駆けつけた東京・渋谷区の連盟事務所は悲しみに包まれ、ただただつらかった。

 東京都出身。東大の前身・東京帝国大学の総長を務めた南原繁氏の次男で武蔵高から東大法学部に進み、野球部主将を務めた。大学卒業後、1958(昭33)年に日本銀行入行。「三十三年組」と呼ばれ、同期には福井俊彦・元日銀総裁らのちの日銀を支える優秀な人材が揃っていた。その1人だった南原さんは、総裁や副総裁を補佐する理事を務め、その後も日本輸出入銀行(現国際協力銀行)副総裁、電通顧問と歴任した。

 04年から全日本大学連盟副会長に就任。失礼ながら80代とは到底思えないほどしっかりとした足取りで、球場で会うと腹の底から大きな声で「やあ!おはよう!元気かね?」と元気いっぱい。副会長として各地の会議に出席するほか、全日本大学選手権中や東京六大学リーグ戦では、いつもスーツ姿で、神宮球場内をスタスタと歩きまわっていたことを思い出す。

 日本経済の中枢に携わった華麗な経歴ながら、下っ端の記者にも気さくに対応して下さり、野球をこよなく愛していた。そして南原さんといえば思い出すのが名物の「乾杯」だ。パーティーなどで乾杯の音頭をとる時、腹の底から大きな声で「カンパ~イ!!」と高々と杯を上げ、大いに盛り上がった。昨年末もその発声を聞いたばかりだった。

 年明けから体調に異変を感じていたというが、「心配ないよ!」と最後まで周囲を心配させまいと気丈に振る舞っていたという。あんなに元気だったのになぜ…。連盟職員やアマ野球担当記者共通の思いだった。葬儀は密葬。決して派手なことはしない、またそれも南原さんらしいと関係者は口々に言った。

 表舞台に頻繁に出ることはなかったが、間違いなく近年の大学野球を支えてきた大功労者。もっとゆっくりいろんな話を聞いておけば良かった。4月には大学野球シーズンが本格化する。きっと今頃、天国で開幕を心待ちにしていることだろう。南原さん、本当にありがとうございました。どうぞ安らかに、そして、これからも学生野球を見守っていてください。(記者コラム・松井 いつき)

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