木田画伯 須藤豊さんと再会“鬼軍曹”の厳しさと優しさ

[ 2016年2月10日 12:00 ]

恩師・須藤豊氏との思い出を振り返った木田画伯

 日本ハム・木田優夫GM補佐(47)による「木田画伯の球界絵日記」は、今回から1年ぶりに「キャンプバージョン」となります。米アリゾナ春季キャンプ2日目には、巨人に入団した当時に2軍監督を務めていた須藤豊氏(78)の訪問を受け、約10年ぶりの再会も果たしました。

 アリゾナキャンプ第1クール2日目に、僕がジャイアンツに入団したときの2軍監督で、その後、ホエールズ(現DeNA)の監督もされた須藤豊さんが、ファイターズのキャンプを見に来てくれました。

 僕が入団する前年の1986年からジャイアンツは秋に行われるアリゾナ教育リーグに2軍選手を派遣していました。その年から2軍に就任していた須藤さんは、当時のアリゾナの魅力に取りつかれ、その後、家を購入し、今でもオフシーズンの間はアリゾナで過ごされています。

 実は僕も87年から3年連続で須藤2軍監督と一緒に、アリゾナ教育リーグに参加していました。そのアリゾナで、須藤さんと会えるなんて思ってもいませんでした。須藤さんとは約10年ぶりにお会いしたのですが、お互いにアリゾナでの昔話が尽きませんでした。

 その中でも一番の思い出は89年です。その年、僕は開幕1軍入りしたものの、右上腕の故障もあり、後半戦は2軍にいました。その間、藤田元司監督の下、1軍はリーグ制覇を果たしたのですが、僕は2軍メンバーとしてアリゾナ教育リーグに派遣されていて悔しい思いをしていました。

 それでも日本シリーズ直前に、アリゾナにいた僕は須藤2軍監督に「次の試合で結果を出したら帰国させるから」と告げられました。しかし、日本シリーズを目指して登板した試合で僕はボロボロに打ち込まれ、帰国をさせてもらえずに、近鉄バファローズを相手に3連敗からの4連勝という奇跡に参加できませんでした。

 今回、須藤さんとお会いして、そのときの悔しさと一緒に「鬼軍曹」と呼ばれた須藤さんの厳しさと、みんなからオヤジと慕われる須藤さんの優しさを思い出しました。(日本ハムGM補佐)

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2016年2月10日のニュース