【レジェンドの決断 谷繁元信2】地道な積み重ねでたどり着いた大記録

[ 2016年1月29日 09:23 ]

引退試合となった15年9月26日のDeNA戦で、ファンの声援に応える谷繁兼任監督

 長くやること、試合に出続けることに、秘けつや裏技などない。もしもそんなものがあるなら、誰もが実践しているだろう。谷繁も「長くやるためにしたことはない」と断言する。3021試合出場という金字塔を打ち立てた大捕手はむしろ、今、目の前のことに全力を尽くすことが長寿につながるのだと話す。

 「小さい頃から積み上げてきたことにプラスして、節目節目で長くできるようにやってきたんだとは思う。ただ、それを意識したわけじゃない。例えば、自分が30歳の時に45歳までやろうという思いは全くなかった。直近の目標や課題に向き合ってきて、それが積み重なって今日がある」

 広島県の自然に恵まれた山あいの町、東城町(現庄原市)で生まれ育った。父・一夫さんに連れられて、山で狩りをし、川に飛び込んで魚を捕まえる日々。そんな幼少時代が丈夫な体をつくり上げたことは間違いない。横浜(現DeNA)時代の96年から本格的なウエートトレーニングを始め、鋼の筋肉も身につけた。そういった肉体的な強さも大記録に結びついたが、試合に出られるかどうかはそれだけでは決まらない。どんなに苦しくても弱音を吐かず、目の前の一試合一試合に全力を尽くしてきたことが、その時々の監督の信頼を勝ち取ってきた。

 「これは僕がやってきたんだけど、まずその日できることをやって一日を終える。次の日も同じようにやる。一日一日の積み重ねだけど、それが一カ月一カ月、一年一年の積み重ねになると考えて生活すればいい。細かく言うと一時間一時間。すぐに3時間後に行けるかといえば無理。そういうマシンがまだないから(笑い)。1秒、1分、10分でも、その時の野球と向き合っていくしかない。途方もなく長いけど、その積み重ねがないとそこにはたどり着けない」

 不滅ともいわれた野村克也の記録を35年ぶりに更新。「単純に考えて100試合を30年以上。そう考えると、凄いことしたんだな」と振り返りながら、自身の記録への挑戦者出現を待ち望む。

 「それは出てきてほしいよ。記録は破られるものだから。いつになるかは分からないけど、その時はぜひ僕のところに来て取材してほしいね」

 豪快に笑う顔からは、過酷な世界で誰よりも多く戦ってきたレジェンドならではの自信と達成感が見て取れた。(山添 晴治)

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2016年1月29日のニュース