「熊工の沢村」鮮烈な記憶から20年、現役に別れ そして新たな希望

[ 2016年1月24日 08:32 ]

<96年夏の甲子園 熊本工・松山商>9回裏2死、松山商・新田浩貴投手(左)から左越えに同点となるソロホームラン(本塁打)を放つ熊本工・沢村幸明外野手

 社会人野球では昨年、Honda・西郷泰之内野手(43)の引退という大きな出来事があったが、同じ埼玉に本拠地を置くチームでまた1人、現役と別れを告げた選手がいる。日本通運の沢村幸明内野手(35)だ。「12月に、今年で引退だと言われて。まだ実感はわきませんが好きな野球を長くやらせてもらった。社業を一生懸命やって恩返ししていきたい」。

 高校野球ファンには「熊工の沢村」でおなじみだろう。96年夏の甲子園決勝・熊本工―松山商。「奇跡のバックホーム」で知られ、球史に残る激闘となった一戦。沢村は、熊本工では緒方耕一以来12年ぶりの1年生レギュラーとして一躍名をとどろかせ、「6番・左翼」で決勝戦に先発した。2―3で迎えた9回、2死走者なしと絶体絶命のピンチで打席に立つと初球を振り抜き、起死回生の同点アーチ。その直後の10回表に「奇跡のバックホーム」でサヨナラ勝ちを阻まれ、11回に勝ち越しを許して準優勝に終わったが、残した記憶はあまりにも鮮烈だった。

 昨年は高校野球100年のメモリアルイヤーだったこともあり、この試合はお笑い番組「アメトーーク」の高校野球芸人の回でも取り上げられた。「テレビは見ていました。いろんな方が取材されていて、懐かしかった」と振り返りながら「優勝できなかったことが僕の原点。これが準優勝と優勝の差か、とクローズアップされたような気がした」。

 あと一歩で頂点に届かなかった悔しさを胸に抱き続けてきた。1メートル76、78キロと決して大きくはないが、高い守備力に定評があり、法大を経て、日本通運入り。08年には遊撃手として社会人ベストナインを受賞、09年ワールドカップ、アジア選手権日本代表にも選出。12年には都市対抗10年連続出場で表彰され、厳しい社会人野球の世界で輝かしい足跡を残した。若返りするチームの中でも一線で活躍し、体はまだまだ動いた。しかし「年々動きが悪くなって、疲れが取れにくくなった」。自分から引退を言い出すことだけはしない。それがせめてもの意地だった。

 現実を受け止めて引退を決めた時、西郷と連絡を取ったという。電話口の向こうで響く「お疲れさん」の言葉が「すごくうれしかった」と笑う。その一方で「妻はショックを受けていました。苦しい時も一番応援してくれましたから。感謝しかありません」と神妙になった。小1と3歳になる2人の息子がいる。長男は最近遊びながらも野球を始めた。「いつか野球やってくれればいいな」と日焼けした顔の目尻が下がった。あの夏から20年。がむしゃらに走り続けた男の目は新たな希望を見つめていた。(記者コラム・松井いつき)

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