泥臭さ貫いた元巨人・古城氏 新鮮だった「死球は“ありがとう”」

[ 2016年1月18日 07:59 ]

昨年12月に佐賀県内で行われた野球教室で子どもたちに指導する元巨人の古城氏

 記者は静岡県出身。幼い頃、近所の藤枝東高に中山雅史(48=JFL沼津)がいた。闘争心を前面に出す姿に憧れ、記者もサッカーに青春を捧げた。その影響か、プロ野球記者の現在も根性ある、泥臭い選手が好きだ。

 プロ野球取材歴は15年。過去に何人もの選手を取材してきた中で泥臭い選手だった一人が日本ハム、巨人でプレーした古城茂幸氏(40)だ。巨人時代は堅実な内野守備で07~09年のリーグ3連覇に貢献。13年限りで現役を引退し、現在はジュニアコーチを務める。記者は08~10年まで巨人を担当した。日本ハム時代も取材していた縁もあり、いろいろな話を聞いた。

 印象に残る「古城語録」がある。「死球は“ありがとう”」だ。現役時代は死球を受けても痛がることなく、笑みを浮かべて一塁に歩くこともあった。当時、そのことを聞くと「俺みたいに打撃が弱い選手を一塁に出すんだから痛いのは投手。俺は感謝の気持ちしかない」と返ってきた。続けて「痛くないんですか?」と聞くと「当たる場所によっては痛い。でも150キロまでならここで受けられる」と言って右の上腕二頭筋を指で差した。当時は「巨大戦力」と称されてスマートな選手が多かった中、古城氏の言葉は新鮮に聞こえた。

 当時の原監督とのエピソードもある。08年4月24日の横浜戦(東京ドーム)の走塁で本塁クロスプレーで捕手と激突。左脇腹を痛めた。普段から「俺みたいな選手は痛い、かゆいと言ってられない」が口癖で負傷交代することもなかったが、試合後に帰宅する際に記者にこっそり「やばい。たぶん折れてる」と話していた。翌25日の阪神戦(甲子園)も普通に守備固めで出場。だが26日の同戦前のフリー打撃後、ケージ裏で見守っていた原監督から言葉を掛けられた。「シゲ、俺の目はごまかされんよ」。左脇腹をかばいながらのスイングを見抜かれた。病院行きを命じられ、肋骨の亀裂骨折が判明。もちろん出場選手登録を外れた。

 選手が2軍落ちにつながるような故障を周囲に隠し、痛み止めを飲みながらプレーすることは多々ある。主力だろうが控えだろうが、誰だって1軍でお金を稼ぎたいからだ。ただ骨折を隠してまで1軍にしがみつく選手は極めて少ないと思う。

 昨年12月上旬、古城氏と久々に再会した。佐賀県内での野球教室に原前監督とともに講師として参加していた。当時の話を振ると「原監督はさすがだと思った。俺みたいな選手の練習も、しっかり見ていてくれたから」と笑顔で言う。いつかプロの現場に戻ることがあれば、記者好みの「強い選手」を育ててほしい。(記者コラム・山田忠範)

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2016年1月18日のニュース