DeNA戦力外多村 落合GMに救われた 育成からノリさんのように

[ 2016年1月16日 05:30 ]

01年の横浜春季キャンプで多村を指導する落合氏

 オレ流契約再び!中日は15日、昨年限りでDeNAを戦力外となった多村仁志外野手(38)と育成契約を結んだと発表した。年俸300万円で、背番号は「215」。ナゴヤ球場で会見に臨んだ多村は「野球ができる喜びを感じている」と感謝の思いを口にした。

 電撃獲得の裏では、落合博満ゼネラルマネジャー(GM)が動いていた。現役続行を希望しながらオファーがない中、昨年12月に中日から連絡が入った。そして、年末に名古屋市内で直接、落合GMと会談。年明けになって正式な入団要請を受けた。それだけではない。「今の僕がいるのは落合さんのおかげと言っても過言ではない」。多村にとっては「恩人」といってもいい存在だ。

 横浜時代の01年春季キャンプ。当時評論家だった落合GMが臨時コーチを務めた際に、1日2時間のマンツーマン指導を受けた。間の取り方、いかに力を抜くか…。多村は99年首位打者のローズの打ち方をまねていたが、「180度変わった。それが今のスタイルになっている」。落合GMと同じ「神主打法」に替え、04年の40本塁打など飛躍につなげた。

 中日での大物選手の育成契約といえば、07年の中村紀洋が思い浮かぶ。それまで319本塁打の大砲と年俸400万円で育成契約を結んだ当時の監督が、落合GMだった。中村は3月に支配下登録されると、同年の日本シリーズでMVPに輝くなど活躍。多村は「ノリさんも育成から始まって結果を残された。見習いたい」と力を込めた。

 「プロ野球のユニホームを着られることに感謝している。今後、支配下になれたら(落合GMに)もっと恩返しができると思う」。11年には最高年俸1億8000万円。かつて日本代表にも選ばれた男が、落合GMの下で年俸300万円から再出発する。

 ◆多村 仁志(たむら・ひとし)1977年(昭52)3月28日、神奈川県生まれの38歳。本名・仁。横浜高から94年ドラフト4位で横浜入団。04年に40本塁打100打点をマーク。06年オフにトレードでソフトバンクに移籍、12年オフに再びトレードでDeNAに復帰した。10年ベストナイン、06年WBC日本代表。1メートル80、80キロ。右投げ右打ち。

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