【レジェンドの決断 東出輝裕2】後輩に「教えられたこと」コーチの糧に

[ 2016年1月15日 11:10 ]

今季限りで引退、来季1軍打撃コーチ就任が決定した東出は、昨年11月のファン感謝デーであいさつ

 奇禍から約3週間後の13年3月18日、東出は断裂した左膝に自身の腱を移植する手術を受けた。「試合に出られるレベルに戻さないと、手術した意味がない」。選手会長でもあり、引退は封印。車椅子や松葉づえを使いながらでも、可能な限りリハビリに努めた。

 実戦復帰は14年春。気持ちを表に出さず、人前でのアピールを嫌う性格だが、同年は毎朝午前5時に起床、同6時半には練習場に姿を見せ、誰よりも早く動いた。ぶざまな姿は見せられない。諦めていると思われたくない――。意地と矜持(きょうじ)が、心の糸が緩んだままの状態を許さなかった。

 同年のウエスタン・リーグでは49試合で打率・272をマーク。一定の足跡を残したことで、オフに一度は現役引退を申し出た。球団は慰留。若手の人望が厚い東出に2軍野手コーチ補佐兼任を打診し、1軍でも打撃での貢献と緊急時のバックアップ準備を求めた。

 極秘プランもあった。昨年6月、3年ぶりの1軍昇格が検討された。実現しなかったが、東出は2軍でひたすら若手と汗にまみれた。もとより、技術や理論を追求するのが好きな男。左膝手術によって守備走塁の比重が減り、「打」に特化できたことが後に生きる。

 「若い選手と練習しているうちに気付いたんです。教えているようで、実は教えられていることが多々ある…と」

 10月8日、正式に現役引退を表明した。1366安打、143盗塁の通算成績を「クビを意識した時の精神状態や技術を考えたら出来過ぎ」と振り返る。新たな肩書は1軍打撃コーチ。日南秋季キャンプではメニューを考案し、精力的に動き回る35歳がいた。

 「打撃は難しい。(バットの)ヘッドを正しく使う基本を教えるにも、伝える側の表現がそれぞれ違うので、若い頃は“言っていることが違うじゃん”って思いがち。でも、言いたいことは一緒なんです」

 東出はしみじみ言う。

 「自分の中に疑問符を持ったまま打席に立ってはいけない。疑問や不安があれば、どんどん聞けばいい。ただ、疑問すら持たず、表面をすくうだけの間違った解釈をする選手もいる。僕がそうだった。だから、見ていかないと。ずっと…」

 野球人生の第2幕。その胸中は、現役時代とは違う責任感が埋め尽くす。気持ちの糸が緩むことはない。赤いユニホームを着ている限り。(江尾 卓也)
 

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