前田智、北別府ら発掘の村上孝雄氏死去 代打安打数は日本記録

[ 2016年1月10日 05:30 ]

2013年、前田智(右)と話す村上氏

 広島の代打の切り札として、あるいは敏腕スカウトとして名選手発掘に貢献した村上(旧姓=宮川)孝雄(むらかみ・たかお)氏が8日、心不全のため北九州市内で死去した。79歳だった。

 通夜は12日午後7時から、告別式は13日正午から、北九州市門司区大里新町11―10、ベルコシティホール門司=(電)093(372)4949=で。喪主は妻・美津子さん。広島が9日、発表した。

 村上氏は豊国学園高から門司鉄道管理局(現JR九州)を経て1959年に広島入団。左打ちの強打の外野手として鳴らし、74年引退までの実働15年で出場889試合、267安打、11本塁打、149打点、打率.276の成績を残した。とりわけ代打実績は特筆もので、通算安打数187本は現在も日本記録。通算代打起用回数778、打点数118はセ・リーグ記録として刻まれる。

 引退後の75年からスカウトに転身し、九州地区を主に敏腕ぶりを発揮。通算213勝の北別府学(野球解説者)を皮切りに故津田恒実さん、緒方孝市(広島監督)、前田智徳(野球解説者)など、独自の眼力を生かしてあまたの名選手を世に送り出した。03年から06年までスカウト部長を歴任。07年からは同部顧問として目を光らせていた。

 松田元(はじめ)オーナーは「九州地区から輩出した名選手は、すべて村上さんが獲得に尽力した。緒方監督や高(信二)コーチが就任した際には喜び、昨年もマツダスタジアムに足を運ばれた。まだ早い…」と悼んだ。

 ▼広島・緒方監督 村上さんがいたからカープに入団できたし、親代わりとして厳しく指導してもらった。監督に就任してからも車椅子でマツダやキャンプ地に来られ、激励していただいた。元日にお見舞いしたのが最後でした。心よりご冥福をお祈りいたします。

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