【レジェンドの決断 関本賢太郎2】バットを短く持って生まれた「代打の神様」

[ 2016年1月8日 11:30 ]

03年ダイエーとの日本シリーズ第7戦、第2打席に和田から左中間ソロを放った関本

 打率・162。関本のプロ1年目、1997年のシーズン成績だ。1軍出場はない。2軍で残した数字だった。

 「このチームでどうすれば1軍でやっていけるのか。毎日、そればっかり考えていました」

 大きな武器を手にしたのは3年目、99年の夏だ。ウエスタン・リーグの試合でチームはバント失敗が相次いだ。その頃、1軍でも2番を固定できない状態が続いていた。「これだ!」。それまでバントなどしたことがなかった男は、ヤクルト時代にバントの名手として知られた先輩選手、城友博に教えを請うた。

 まずやったのは、投じられるボールをバットの先端でかすめる練習。感覚が身につくと、ボールが当たる位置をバットの芯の方に徐々に近づけていく試みをした。数センチ刻みの地道な作業を繰り返し、やがて「打球が死ぬ場所」を探り当てた。バットの先端からボール半個分を余した位置。後日、初めて出されたバントのサインに対して、難なく成功させた。首脳陣から新たな評価を得た瞬間だった。

 レギュラー獲得への分岐点になったのは2003年のダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズだ。3勝3敗で迎えた第7戦。「9番・三塁」で先発出場した25歳は、第2打席で和田から左中間ソロを放った。

 「試合前練習でも調子は最悪でした。でも試合に出るからには何か足跡を残したい。どうせ打てないのなら…と」

 野球人生で初めて、バットを短く持って打席に立った。グリップエンドから、指2、3本分を余した。長打はいらない。ただ塁に出ることだけを考えてスイングした結果が、アーチになった。

 「自分の成績を見てみると、ホームランはヒット15本に1本の割合だった。年間150安打を打つとして、10本塁打。これでは長距離砲と言えない。プロ野球選手としてこの先、どう生きるべきか迷っていました。でも、短く持っても打球は飛ぶことが分かったので“これでいこう”と」

 翌年から引退するまでの12シーズン、バットを短く持つスタイルを最後まで貫き通した。

 2軍で能力を持てあます後輩に贈った言葉がある。「身近なところにヒントはある。それに早く気付いてほしい」。優しいまなざしは伸び悩んでいた頃の自分を見つめているようでもあった。(森田 尚忠)

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