【レジェンドの決断 関本賢太郎1】FA複数年残留10年オフから引き際意識

[ 2016年1月7日 10:33 ]

昨年9月30日、引退を表明し会見中、思い出を語りながら何度も涙を拭った関本

 屈託のない笑みを浮かべながら、懐かしい味を頬張った。「クライマックスシリーズの巨人戦が終わった翌日から、一切、体は動かしてませんよ」。昨年12月中旬。関本は奈良県天理市内のとんかつ店「とんよし」を訪れていた。猛練習に明け暮れた天理高時代、何度この美味に救われたことか…。「また太ってしまうな」と言いながら、特大のとんかつ2枚をぺろりと平らげた。

 突然の引退表明だった。9月8日、右背筋痛による戦線離脱から約1カ月ぶりに復帰。以降、代打として打ちまくり、9月は月間10打数6安打の成績を残した。相手は試合終盤に登場してくるセットアッパー、抑え投手が大半。代打の難しさも加味すれば、驚異的な数字といえた。その最中に下した決断――。

 背番号3のタテジマを身にまとい、同30日に兵庫県西宮市内の球団事務所で会見に臨んだ。「今年は2回も離脱してしまい、チームに大変な迷惑を掛けてしまった。“まだできる”という気持ちもあるけれど、良いところで辞めるというのも一つ。打てなくなって野球を嫌いになって辞めるのは嫌なので…」。そう言い終わると、右手でそっと涙を拭った。

 引き際は、実は何年も考え続けていた。昨季は2度の故障離脱があったとはいえ、55試合出場で打率・262。代打の切り札であり、守備固めとしての起用もあった。まだやれる――。周囲の大方はそんな反応だったが、関本の思いは違った。

 「年間を通して1軍にいることは最低条件。球団にリスクを負ってもらった以上、結果が出なければユニホームを脱がなければいけない」

 国内フリーエージェント(FA)権を行使して残留し、3年契約を結んだ2010年オフに初めて「引退」の2文字を意識した。同年にFA権を取得。打撃は粘っこくバントは巧み、守備も一、二、三塁をそつなくこなすという複数の顔を持つ役者には、水面下で数球団からの誘いがあったとされる。その中で阪神が複数年契約という「リスク」を取って引き留めてくれたことを意気に感じ、同時に身の処し方を考えるようになった。

 阪神一筋の19年間。挫折を乗り越え、活躍の場をつかんだ。1996年ドラフト2位で入団。大型内野手と期待されてプロの門を叩いたが、現実はとてつもなく厳しかった。 (森田 尚忠)

 ◆関本 賢太郎(せきもと・けんたろう)1978年(昭53)8月26日生まれ、奈良県出身の37歳。天理3年夏に甲子園出場。96年ドラフト2位で阪神入り。05~07年にセ・リーグ二塁手の連続守備機会無失策記録804をマーク。08年に登録名を本名の健太郎から変更。10年以降は代打を中心に活躍し、15年限りで引退。今年からスポニチ本紙評論家。通算1272試合、打率・278、48本塁打、312打点、16盗塁。164犠打はチーム歴代5位。1メートル86、96キロ。右投げ右打ち。

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2016年1月7日のニュース