【レジェンドの決断 小笠原道大2】いつしか「地道さ」は巨人全体の習慣に

[ 2015年12月23日 12:50 ]

無名の高校時代から巨人の主砲にまでなった小笠原

 球史に残る強打者だった。歴代9位の生涯打率・310、史上2人目の両リーグMVP。いずれも現役最多となる通算2120安打、378本塁打を19年の現役生活で積み上げた。だが、印象に残る思い出を問われて出てきた答えは、タイトルでも、1本のホームランでもなかった。

 「19年できたというのは誇れるかな。19年というのは自分でも想像していなかった年数。これから先の多少の自信にはなっている。必死にやったことは確かだよね」

 一つのウソが、後に「ガッツ」と呼ばれるプロ野球選手を生んだ。千葉・暁星国際時代の高校通算本塁打は0だった。打球は飛ばなかったが、黙々と努力することだけは際立っていた。そのひたむきさを見抜いた五島卓道監督(現木更津総合監督)が「通算30本くらい打った」と推薦し、NTT関東入りを後押し。そして、96年ドラフト3位で日本ハム入りした。

 プロ2年目までは115試合で1本塁打。しかし、99年に打率・285、25本塁打、83打点で開花すると、02、03年は首位打者を獲得した。「タイトルは少なからず意識はしていた。特に若い時はね。言い方は悪いけど、優勝から程遠いチームだったから。みんな頑張っていたけど、なかなか勝てなかったから」。

 だが、その意識が変わった。06年に日本ハム、07年はFA移籍した巨人でリーグ優勝に貢献。2年連続MVPに輝いた。巨人はそこからリーグ3連覇。「いろいろ経験していくにつれ、やっぱり勝たないといけないということに気づく。その中には自分がいなくちゃいけない、と」。湧き上がる勝利への欲の一方で「誇れる」地道さは引き継がれた。全体練習前のアーリーワークや、ノックが終わってから欠かさなかったグラウンド整備は、いつしか巨人ナインの習慣になった。

 背中で語る小笠原の第2の野球人生は中日2軍監督。「最終的にはみんな1軍でレギュラーをつかんでほしい。難しいけど、そこを目指すしかない。一瞬に全神経を注ぐ。そこは一緒かな」。共に戦った高橋由伸、ラミレスが今オフ、1軍監督に就任した。「興味がないというのとは違う。かといって、こちらはそれどころじゃないというのが現状。エールは送りつつ、自分の仕事を全うしないといけないという思いなんだよね」。これまでと同じ。「監督・小笠原」としてコツコツと一日を積み上げていく。(春川 英樹)

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