【レジェンドの決断 森本稀哲2】運命の出会い 新庄氏の背中を追い続けて

[ 2015年12月16日 10:00 ]

日本ハム時代、新庄氏(左)との出会いが森本の野球人生を変えた

 忘れられない一戦がある。06年10月26日、中日との日本シリーズ第5戦(札幌ドーム)。左翼を守っていた日本ハム(当時)の森本は日本一を決めるウイニングボールをつかむと、マウンドではなく新庄剛志氏のいる中堅へ向かって走りだした。「プロ野球人生で初の優勝。日本一という大きな夢を達成して、格別な思いがあった」。左中間で抱き合い、喜びを分かち合った。

 新庄氏は03年オフ、メッツから鳴り物入りで日本ハム入り。当時、森本は複雑な心境を抱いていたという。「どうして同じポジションの人間が来るんだと。当時は若かったし、外野手の補強となると“何でだ?”と思った」。その時、新庄氏との出会いが野球人生を変えるとは夢にも思っていなかった。

 森本は03年に「1番・中堅」で初めて開幕スタメン出場したが、5月以降は打撃不振で守備や代走要員だった。翌年、コーチの指導を受け入れられないほど心が荒れていた森本に、積極的に声をかけてくれたのが新庄氏だった。外野の守備位置や動きだしを教えてもらい、試合で実践。課題の打撃ではメンタル面の重要性を説かれた。凡退し肩を落としてベンチに戻ると「良い物を持っているんだから、自信を膨らませろ。凡打でも堂々と帰ってくればいい」と叱咤(しった)された。

 その全ての言葉に説得力があった。05年に自身初の100試合出場を達成。06年にはパ・リーグ最多得点を記録し、ゴールデングラブ賞を初受賞した。「僕は自信が持てないタイプだった。セルフイメージを大きくしてくれた」と感謝する。

 思い出は尽きない。04年9月20日、札幌ドームでのダイエー戦。新庄氏の提案で試合前に「秘密戦隊ゴレンジャー」に扮した。「新庄さんだから許されるのかな」とためらっていたが「誰でもパフォーマンスはやっていいんだと教わった」。06年に初出場した球宴では漫画ドラゴンボールのピッコロ大魔王の姿で登場した。かぶり物やコスプレで人気者となり、07年には前年限りで引退した新庄氏の背番号「1」を継承した。

 振り返れば、新庄氏の背中を「必死に」追い続けてきた。34歳。くしくも同じ年齢でグラウンドを去る。引退をメールで伝えると「おつかれさ~ん」と返信があったという。メッセージは「楽しめ、楽しめ」と続いていた。自分を変えてくれた先輩の言葉を胸に、起業家を目指す第二の人生へと踏み出した。(神田 佑)

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