【レジェンドの決断 森本稀哲1】若手に伝わった2軍での全力疾走

[ 2015年12月15日 10:20 ]

9月、現役引退会見を終え、泣きまねをしながら会見場を後にする森本

 9月中旬。2軍で若手に交じって練習していた森本は、心の中で区切りをつけた。「9月に入って1軍に呼ばれなかったので良いタイミングかなと」。7月24日に1軍に再昇格し「全力でチャンスをつかみにいった」と言うが「結果が出せずに2週間で2軍落ち」。今季は引退試合を含め15度打席に立つも、12打数無安打に終わった。隠しきれない力の衰え。まだ強い日差しが残っていた西武第2球場で引退を決断した。

 25歳だった06年に左翼のレギュラーを奪い、主に1番を打ち、日本ハムの44年ぶりとなる日本一に貢献した。10年オフに横浜(現DeNA)へFA移籍するまでの野球人生は順風満帆。だが、30代に入ると下り坂を迎えた。低迷していた横浜の力になりたいと移籍を決断したが、出場機会は激減した。大半を横須賀の2軍施設で過ごし、13年はわずか4試合の出場で戦力外を告げられた。移籍後の3年間を「ファンにもチームにも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった」と振り返る。

 しかし、つらかった2軍生活で得たものは大きかった。20代の頃には納得がいかない登録抹消にいら立ちを見せたことがあったが「苦しい状況でいかに頑張れるかが、野球人としての価値につながる」と考え始めた。13年オフにテスト入団した西武でもその姿勢はぶれなかった。かぶり物のパフォーマンスなどユニークな印象が強いが、西武のある若手は「2軍であれほど真剣に練習するベテランを見たことない。自分も手を抜けない、という気にさせられた」と言う。

 多くのベテランがファームで腐り、若手に悪影響を及ぼすさまを目の当たりにしてきた。「30歳を過ぎてからですね。後輩の前で手を抜くと大きなマイナス要素になると気付いた。あの時期がなかったら、もっと下のレベルで終わっていたと思う」と振り返る。西武での2年間、手はいつもマメだらけだった。「後輩には一瞬たりとも隙を見せられない」と、2軍戦で凡退しても全力疾走を怠ったことはない。

 ユニホームを脱いだ今もがむしゃらに走り続ける。今シーズン終了後に起業家を目指し、経営コンサルティングを行う都内の企業と契約した。スーツ姿に変わってもうかがえる1メートル85、81キロの筋肉質な体。それは森本が努力を怠らず続けてきた証である。(神田 佑)

 ◆森本 稀哲(もりもと・ひちょり)1981年(昭56)1月31日、東京都生まれの34歳。帝京では主将として3年夏に甲子園出場。98年ドラフト4位で日本ハムに入団。07年に自身初のベストナインを獲得。06年から3年連続でゴールデングラブ賞を受賞。10年オフにFA権を行使し、横浜(現DeNA)に移籍。13年オフに戦力外通告を受け、西武にテスト入団した。通算成績は1272試合で904安打、33本塁打、267打点、打率.259。1メートル85、81キロ。右投げ右打ち。

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