「ルーズヴェルト…」モデル会社“人つなぐプロ”の社会人野球愛

[ 2015年12月10日 08:00 ]

慰労会で記念撮影に収まる鷺宮製作所の松元前監督(前列中央)

 11月29日。神奈川県内のホテルに、高校、大学、社会人の監督たちが約50人、集まった。目的は今年7月限りで鷺宮製作所の監督を勇退した松元孝博氏(49)の慰労会だった。

 鷺宮製作所は、池井戸潤の人気小説「ルーズヴェルト・ゲーム」のモデルとされた。松元氏は13年間にわたってチームを率いた。だが、都市対抗出場は09年を最後に遠ざかり、東京2次予選敗退が続いた。「なかなか勝てなくて、こうなったら審判と癒着して勝たせてもらおうと思いました。でも、うまくいきませんでした」。こんなジョークを飛ばすなど、誰からも愛される松元氏の周囲には自然と人が集まった。

 慰労会の発起人の一人、横浜商大・佐々木正雄監督は「松っちゃんは“接着剤”だから」と言った。侍ジャパン大学代表の監督を務める明大・善波達也監督も「松元さんは、人と人をつなげるプロ」と評した。垣根を超えた集まりが、その言葉を象徴していた。

 明治安田生命の林裕幸監督は、こんなエピソードを披露した。

 「社会人野球では試合前の整列の時に監督同士が握手しますが、松元監督は手を握るのではなく、こちょこちょっと、くすぐってきました。長い間監督をやっていますが、こんな人は初めてでした」

 常に笑いを取る松元氏だが、東海大時代の恩師、国際武道大・岩井美樹監督、東海大・横井人輝監督からねぎらいの言葉を掛けられると、涙腺が緩んだ。「こんな私が13年間、監督をやらせてもらったのは、周囲のみなさんのおかげ。本当に感謝しています」と涙ながらにあいさつした。

 今年2月にグラウンドを訪れた際に、松元氏からは「社会人野球を盛り上げるためには、マスコミの力が必要だよ。私たちも頑張るから、何とか頼むよ」と言われた。誰よりも社会人野球に愛情を持っていた人だった。

 松元氏は今後、社業に専念する。グラウンドでは常に厳しく、ユニホームを脱げば常に笑いを誘っていた監督が去るのは寂しい。だが、おそらく、じっとしていられないだろう。鷺宮製作所の試合を取材する際は、スタンドで松元氏の姿を探してみようと思う。(川島 毅洋)

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2015年12月10日のニュース