FA補償で巨人→ヤクルト 苦しんだ奥村が迎える勝負の3年目

[ 2015年12月2日 08:00 ]

ヤクルトの奥村

 昨オフのことだった。巨人にFA移籍した相川の人的補償として、ヤクルトに奥村展征が加入した。プロで1年目を終えたばかりだった1軍経験のない若武者は、自主トレ先の熊本から急きょ帰京して入団会見に臨んだ。当時まだ19歳。突然のことで戸惑いはあっただろう。しかしそれを表に見せず、背筋を伸ばしてハッキリと受け答えする姿が印象的だった。

 あれから1年が経とうとしている。寒さも厳しさを増す埼玉県戸田市内のヤクルト2軍施設で、奥村は必死に汗を流している。

 「このオフが勝負。どれだけできるかで、やった分返ってくると思う。今年はほとんど冬眠していましたから」

 移籍1年目の今季は、ケガに泣いた。3月17日の巨人との練習試合で「1軍デビュー」すると、翌18日の阪神との練習試合では初安打初打点もマーク。その後ファーム調整となり、2軍で出場機会を増やしていたが、4月26日、腰に異変を感じた。その日は高校時代を過ごした山形でのイースタン・リーグ、楽天戦。「僕のことを応援してくれている人たちがたくさん見に来てくれていた。もしあそこでやめていれば、という思いはありますが…」。痛みを押して強行出場すると、それ以降、奥村が試合に出場することはなかった。

 「もう治らないのかなと思ったこともありました」と振り返るほど、長く、苦しい日々だった。立つのも座るのも腰に激痛が走る。寝る体勢も、仰向けで膝を曲げるとかろうじて痛みが和らいだ。そんな生活が2カ月ほど続いた。徐々によくなり復帰間近だった8月上旬、再び痛みが襲った。何回も検査をしたが、正式な診断名は出なかった。野球ができず、暗い表情が目立った。「ご飯を食べて寝るだけだった」という日々に、体重は7キロ増えた。11月の秋季練習でようやくフルメニューをこなせるようになると、自然と体重は76キロまで戻った。同時に、グラウンドに笑顔も戻った。

 高校を卒業し、ドラフト4位で巨人に指名されてプロの扉を叩いた。周囲から「1軍に行くのに5、6年かかる」と言われたそうだが「3年目には上である程度できるようになりたいと思っていた」と描いていたビジョンを明かす。「3年目の来季、1軍の試合に出て安打が打てれば。5年以内には1軍のレギュラー争いをしていたい」。真っすぐに前を見据える奥村の表情は、希望に満ちあふれている。自ら位置付けた勝負の3年目。1軍の舞台で活躍する日が待ち遠しい。(町田 利衣)

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2015年12月2日のニュース