長嶋、王、原…巨人のスター選手の引退セレモニー

[ 2015年12月1日 08:20 ]

23日のファンフェスタで胴上げされる高橋監督(中央)

 11月23日、東京ドームで行われた巨人のファンフェスタで、今季限りで現役引退し新監督となった高橋由伸の引退セレモニーが行われた。現役最後の打席は菅野智之から左中間を破るヒット性の打球を放った。引退の挨拶では巨人ファンに対して感謝の言葉を述べるとともに、「覚悟を持って邁進する」と新監督としての思いを口にした。

 代々、巨人一筋でプレーしてきたスター選手は、華やかな引退セレモニーが行われてきた。その系譜に高橋由も名を連ねたと言える。その系譜を改めて振り返ってみよう。

◎長嶋茂雄

 「ミスター・ジャイアンツ」と呼ばれた長嶋は巨人が∨9を達成した1973年オフ、川上哲治監督から現役引退を勧告される。しかし、長嶋はそれを断り「あと1年やらせてください」と現役続行を申し出る。

 覚悟を決め臨んだ1974年シーズン。スタメン落ちや1番打者での起用など経験をするも、成績は好転せず、ついに10月12日、ヤクルト戦後に会見を開き現役引退を表明した。当初は翌13日に後楽園球場で行われる中日とのダブルヘッダーが引退試合となる予定だったが、雨のため翌日に順延となった。

 迎えた14日、長嶋は第1試合で現役最後の本塁打となる通算444号をレフトスタンドへ放った。第1試合終了後には「ファンに直接お別れを言いたい」と外野フェンス沿いを歩き、ファンからの声援に涙を流した。現役最後の試合となる第2試合、長嶋は「4番・サード」で出場。試合後の引退セレモニーでは「我が巨人軍は永久に不滅です」という名言を残し、17年間の現役生活に終止符を打った。

◎王貞治

 1977年には、ハンク・アーロン(ブレーブスほか)の持つ通算本塁打記録を更新し、50本塁打で通算15度目の本塁打王に輝いた。しかし翌年以降は本塁打王のタイトルを逃し、1979年には一本足打法にして初めて打撃3部門で無冠に終わった。

 それでも40歳となった1980年には30本塁打を放ち、周囲も「まだまだ現役でできる」と思っていた。

 ところが11月4日、「王貞治のバッティングができなくなった」と現役引退を表明。引退セレモニーが行われた11月23日のファン感謝デーでは、紅白戦で途中から投手として登板。堀内恒夫に本塁打を打たれる一幕もあった。

 イベント最後の引退セレモニーでは、自身が引退の挨拶を行った後、同じく引退する高田繁を呼び寄せて挨拶を促す気遣いを見せた。最後は左バッターボックスにバット、一塁ベースにファーストミットを置いて、王貞治はグラウンドを去った。

◎原辰徳

 長嶋の監督辞任、王の引退とONコンビが去った直後、巨人に入団したのが原だった。

 ONの担った重責を一人で背負ってきた原は、1995年に入るとベンチを温める日々が続き、出場機会が激減。シーズン終盤には本塁打を連発し活躍を見せるも、ヤクルトのリーグ優勝決定後に現役引退を表明する。

 引退試合となった10月8日の広島戦の打順は、3番に松井秀喜、5番に落合博満を従えて「4番・サード」でスタメン出場。7回には広島先発・紀藤真琴から通算382本塁打をレフトスタンドに運び、東京ドームに駆けつけたファンを大いに喜ばせた。

 現役最後の打席となった9回、広島は原と名勝負を繰り広げた大野豊を投入。粋な計らいとなった対決はレフトフライに終わった。試合後の引退セレモニーでは「巨人軍の4番は、何人も侵すことのできない聖域がある」、「私は今日引退しますが、私の夢には続きがあります」と語った。

 場内一周の後、選手・コーチ陣と握手をする最後に長嶋茂雄がいた。原は長嶋と握手を交わし、涙を見せ抱き合った。(『週刊野球太郎』編集部)

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