評価された“人間性” 誇らしき巨人56年会

[ 2015年11月7日 08:55 ]

引退した巨人の青木

 電話の奥の声は、20日ほど前とは違った。「現役を引退することに決めたよ」。今年10月、巨人・青木が9年の現役生活に別れを告げた。

 戦力外通告を受けたのは10月1日。当日の夜に会った。今季の1軍登板機会はなし。今年で34歳。同じ左の中継ぎでは1年目の戸根が活躍した。これだけで十分に自分の置かれている立場は理解できていた。「覚悟はしていたよ」。うっすらと笑みを浮かべながら、自らに言い聞かせるように何度も繰り返していた。

 06年に大学・社会人ドラフト4巡目で広島入団。当初は先発だった。数年後、1メートル87という長身にリーチを生かした変則的なフォームで中継ぎに適性を見い出した。腕が長く、しならせて投げることから、ついたあだ名は「ペローン」。12年に左膝の負傷でシーズンを棒に振った。そして、開幕一軍入りを逃した13年4月、小野とのトレードで巨人に移籍した。

 真っすぐな性格で練習熱心。ほどなくして巨人ナインにも受け入れられた。投手陣では年上組に入るが、偉ぶる素振りは全くない。後輩の沢村や菅野らも気さくに話すことができた。私も名刺交換時に同い年と伝えると「ほんと?今度、食事にでも行こうよ」とすぐに返ってきた。遠征先では何度か食事をともにさせてもらった。

 食事の場でも誠実さは変わらなかった。店員にも低姿勢で、こちらのグラスが空けば、すぐに注文してくれた。選手と記者というより、同い年の友人という感じでリラックスできた。グラウンド内外でのそんな姿勢は球団内にも届いていたのだろう。戦力外通告とともに、球団職員としての打診を受けていた。

 「自分はトレードで来たのに、引退後の道まで与えてくれた。球団には感謝の気持ちしかないよ」。本当にうれしそうだった。「球団内の仕事に空きがあるかというタイミングもあるが、基本的には人間性が評価されなければ職員として残ることはできない」と球団関係者。昨年は同い年で、同じく左の中継ぎとして活躍した高木康が戦力外となったが、球団に残って2軍サブマネジャーを務めている。

 高木康に続き、青木も巨人に残ることができた。同じ昭和56年生まれの世代として、そんな2人を誇りに思う。(川手 達矢)

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2015年11月7日のニュース