“気遣いの人”原監督から浴びた愛?のジャンピング・ニーパット

[ 2015年10月21日 09:50 ]

退任会見で笑顔を見せ質問に答える原監督

 ラスト采配になるかもしれない。しっかり見届けようと思った。10月17日、セ・リーグのCSファイナルステージ第4戦(神宮)。巨人・原辰徳監督の姿を追った。劣勢の中でベンチ入りの選手を矢継ぎ早に起用。逆転勝利に向けてどん欲に動く姿が、逆に「最後の試合」と感じさせた。最後に次期監督候補になっている高橋由を代打起用。今振り返ってみれば、監督継承へのメッセージにも思える。敗戦後、左翼席の巨人ファンに3度、深々と頭を下げた。辞任表明。寂しくなった。

 気遣いの人だった。野手総合、ヘッドコーチ時代に巨人を担当して取材。監督復帰2年目の07年に担当に復帰し、あいさつした時だった。「どうだ結婚生活は?子供はいくつになった?」。00年に結婚報告したことを覚えていてくれた。キャンプでは打撃ケージ裏にある通称「原タワー」に座らせてもらい、前年不振だった高橋由のフリー打撃を一緒に見ながら、こう漏らした。「今年のヨシノブは下半身ができている。復活すればどこでも打てる」。その眼力は確かだった。初めて1番で起用し、プロ野球記録となる年間9本の先頭打者本塁打。エース・上原を抑えで起用した配置転換も見事で、02年以来のリーグ優勝を果たした。

 「愛のムチ」も受けた。その年のソフトバンクとのオープン戦(当時ヤフードーム)で9回2死まで完全に抑えられた。試合後、福岡市内で監督主催の食事会。もつ鍋、いかそーめんなど、九州の郷土料理をご馳走になった。その翌日、スポニチの1面は「原、ぶざま」。原稿に「原、屈辱」とは書いたが、ぶざまの見出しは想定外。「タッタッタ…」。左側から忍び寄る足音。次の瞬間、故ジャンボ鶴田さんばりのジャンピング・ニーパットを食らった。プロレスが好きで、特に全日本プロレスのファン。見事な大技だった。「何だ、あの1面は!」。顔は笑っていたが、怒っていた。

 シーズン中も密かに練っていた戦術を紙面化したことで、説教を受けたことがあった。原監督にとって、好感が持てる記者ではなかった。それでも担当から外れ、たまに取材に行くと、試合後の監督会見で「珍しい顔がいるじゃないか。何か質問はあるか」と声を掛けてくれる。その気遣い。正直、うれしかった。

 通算12年間で7度のリーグ優勝、3度の日本一。長嶋監督時代は巨大戦力を誇りながら、滅多に優勝できなかった。2年間で勝てなかった堀内監督時代は「暗黒」と呼ばれた。2度もリーグ3連覇した原監督の安定感は際立っている。補強と育成の融合。選手の状態を的確に見極め、起用していく。気遣いのできる人だから、常に先を見通せる。5年後の東京五輪。「スタンドで競技を応援している、そういう風景が浮かんでいます」。原監督はそう言って笑ったが、きっとグラウンドにいるだろう。(飯塚 荒太)

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2015年10月21日のニュース