恩師が明かすイチ秘話 交通事故で投手断念…メジャーで登板「凄い」

[ 2015年10月6日 10:45 ]

91年、愛工大名電のエースとして選抜に出場したイチロー

ナ・リーグ マーリンズ2-7フィリーズ

(10月4日 フィラデルフィア)
 「投手・イチロー」の原点を知る愛工大名電時代の恩師も、驚きを隠せない。3年春にはエースとしてセンバツに出場。当時の監督で、現在は愛知県西尾市にある吉良高校野球部のアドバイザーを務める中村豪さん(73)は「あの年で投げるんだからねえ。凄いよね。メジャーのやり方もとてもユニークだね。今までの努力、取り組む姿勢が年齢を感じさせない動きにつながっているのだと思う」と話した。

 豊山中時代はエースで主軸。高校入学後には140キロ台を連発し「直球は速いし、スライダーも切れていた。とにかく三振を狙っていく投手だった」という。しかし、在学中、自転車で通学途中に自動車と接触事故に遭った。「松葉づえをつかなければいけないようなケガ。その後、投げ方を忘れてしまったのか、担ぐようになってしまった。それで打者に専念させようということになった」。父・宣之さんが「肩は消耗品だから100球も200球も投げさせないでほしい」と望んでいたこともあり、3年の最後は抑え。それでも「投げさせれば140キロは出ていた」と振り返る。

 交通事故により、投手を断念することになったが、その後、打者として超一流に。40歳を過ぎてなお挑戦を続ける教え子へ、中村さんは「どこまでやれるのか、挑戦していく姿を楽しみにしている」とエールを送った。(松井 いつき)

 ▼中日・上田外野守備走塁コーチ(松商学園のエースとして、91年センバツ1回戦で対戦し勝利)そんなに球は速くなかったし、特に良い投手という印象はなかったかな(笑い)。ただ指先の感覚とか、遊びで変化球を投げているわけじゃない。まずストライクを求められる中で、大したものです。

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2015年10月6日のニュース