斎藤隆 故郷で涙のK締め!「体は限界」日米24年間に幕

[ 2015年10月5日 05:30 ]

<楽・ソ>9回無死、最後のマウンドに立った斎藤隆はグラブで涙をぬぐう

パ・リーグ 楽天4―5ソフトバンク

(10月4日 コボスタ宮城)
 日米24年間のプロ野球人生を締めくくる1球は、涙交じりだった。引退試合となった楽天・斎藤は9回のマウンドへ。2ストライクと追い込み、3球目は138キロの直球で空振り三振。嶋と抱き合うと、もう感情を抑えられなかった。

 「投げられるかという感じだったので、(1球目)見逃してくれて、(2球目)空振りしてくれた時はやばかった」。

 守護神・松井裕にボールを手渡し、マウンドを降りた。試合後のセレモニーでは、スポットライトを浴びる中、スピーチ。45歳は「心技体、チームの力になれず、私の体は限界です」と言った。

 11年3月11日、東日本大震災が故郷を襲った。「皆さんの力になる」と12年オフ、メジャーから日本球界に戻り、楽天に入団。移籍1年目の13年、球団は初のリーグ優勝、日本一に輝き「あの優勝は復興を目指す多くの方々とともに踏み出した大きな一歩になったと信じています」と東北のファンの前で胸を張った。

 引退発表の5日前、8月12日、仙台市内の実家を訪れた。父・勇さん(77)、母・敏子さん(73)ら家族に引退を報告。帰り際、一枚の写真を手渡した。13年9月26日、楽天が西武ドームで球団初のリーグ優勝を飾った時の集合写真。「今までありがとう 幸せな野球人生でした!いつまでも元気でいてください 隆より」と感謝の言葉を記した。球場にはその両親の姿もあった。

 05年オフに横浜を自由契約となり、マイナー契約で米球界に挑戦。そこからはい上がり、日米通算112勝、139セーブをマークした。栄光と挫折を味わった24年間。「たくさんの人に支えられ、きょうまでこられた。野球人、斎藤隆としてこれからも頑張っていきます」。そう言って生まれ故郷・仙台で現役に別れを告げた。 (徳原 麗奈)

 ◆斎藤 隆(さいとう・たかし)1970年(昭45)2月14日、宮城県生まれの45歳。東北、東北福祉大を経て、91年ドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団。98年には13勝を挙げ、38年ぶりの日本一に貢献した。06年にドジャースに移籍し、レッドソックスなどメジャー5球団で7年間プレー。13年に楽天入団。1メートル88、90キロ。右投げ左打ち。

 ▼妻・由希子さん 長い野球人生。主人の中ではすっきりしていると思う。家族はそれを受け止め、最後まで見届けました。

 ▼松井稼 僕の年齢を超えてなお、一線級で活躍していた。投げている姿が見られなくなるのは残念。メジャーでも対戦したけど、一番思い出に残っているのは98年、西武と横浜の日本シリーズ。(8打数1安打で)完璧にやられた印象しかない。

 ▼嶋 隆さんが来て、若い選手は野球に取り組む姿勢が変わった。隆さんがいるだけで、その場の空気が締まった。僕も含めてそれを引き継いでいかないといけない。

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