【真中監督×石井氏対談】01年Vに似た雰囲気 選手が勝利に飢えていた

[ 2015年10月3日 12:30 ]

笑顔で握手を交わす真中監督(左)と本紙評論家の石井一久氏

 就任1年目で見事にリーグ優勝を果たしたヤクルト・真中満監督(44)を、スポニチ本紙評論家の石井一久氏(42)が直撃した。90年代のヤクルト黄金時代を知る2人で、前回リーグ優勝した01年は真中監督は1番打者として、石井氏はエースとして活躍し、チームを日本一にまで導いた。年齢も近く、気心が知れた間柄だけに、今季の戦いを振り返るとともに、当時の思い出もよみがえってきた。

 石井 ところで、真中さんの理想の監督像は?

 真中 やっぱりベンチでどっしりしていて、選手に動揺を与えない監督が理想かな。やっぱりノムさん(野村克也氏)は理想だよ。ドキドキしていることも多いけど、悟られないように、冷静に考えているというスタイルは貫いているよね。

 石井 監督としての難しさは何ですか?

 真中 やっぱり責任はあるよな。選手起用は俺が主導だから。選手の生活もそうだしイコール家族の生活も俺が預かっているようなものでしょ。俺が使うか、使わないかで、その年の給料が決まるわけだから。そういう意味で責任感はある。冷静に、今チームにベストな選択をしようという考えは常に持っている。

 石井 家族の存在も大きいでしょ。

 真中 そうね。でもうちの家族は、おまえのところと一緒で、あまり入り込まないから(笑い)。

 石井 まあ、家族みんなが入り込むとね。

 真中 疲れるもんな。応援はしているけど、そこまで思い詰めてないから。それは助かるよな。

 石井 01年の優勝で思い出すことは何ですか?(写真を見て)真中さん若いね。僕なんか、小川ぐらい痩せている。

 真中 9月に苦しんだよね。6連敗して。ちょっと抜けていたのに追いつかれて、苦しい展開だったよね。

 石井 今年の9連敗もそうだけど、必ずそういう時はある。01年も苦しい時に真中さんとかとご飯に行きながら、気分転換していましたよね。

 真中 あとは優勝した時。マウンドに行くのは、カズが一番速かったからね。あのスピードは誰もかなわないと思う。(遊ゴロで)一塁が結構際どいタイミングだったから、邪魔したから退場になるんじゃないかと(笑い)。

 石井 真中さん、外野で遠かったでしょ。

 真中 確かに遠かったな。

 石井 でもそういう雰囲気は01年の時と似ている感じがする。

 真中 俺は選手と接する機会はそんなにないけど、コーチに聞くと、似ているって言うよ。みんな勝ちたいというか、勝ちに飢えているというか。9月とか1ゲーム差とかで4球団争っていても、みんな3位なんか一切狙っていないからね。優勝しか頭にないから。

 石井 優勝の時、僕が記念Tシャツを作って、みんなで記者会見で着たでしょ。今はどの球団も記念Tシャツ着るけど、あれが最初だよね。ヤクルトは初めてが多いですよね。胴上げの時にカメラ持参で写真撮るとか。

 真中 そうそう。お前、Tシャツのお店と組んでいたんじゃない?(笑い)。日本一の胴上げで若松さんを1回転させたのも、カズだからね。

 石井 若松さん、あれ以来、腰がずっと痛いって言うんだよね(笑い)。ところで、優勝旅行はどこに行くんですか。

 真中 まだ決まってないよ。来るなよ(笑い)。

 ▽01年の真中と石井 真中は1番打者として123試合に出場し、打率.312で自身初の球宴にも出場。石井は4年連続で開幕投手を務め、12勝(6敗)をマークした。近鉄との日本シリーズでは、第1戦先発の石井が8回1安打無失点、12奪三振の力投で先勝。真中も全5試合に1番で先発出場し、打率.316、2本塁打、5打点とチームをけん引し、4勝1敗でチームを日本一に導いた。真中、石井ともに優秀選手賞を獲得。

 ◆真中 満(まなか・みつる)1971年(昭46)1月6日、栃木県出身の44歳。宇都宮学園(現文星芸大付)、日大を経て、92年ドラフト3位でヤクルト入団。4度の日本一に貢献し、08年に現役引退。通算成績は1368試合で打率.286、54本塁打、335打点、64盗塁。09年にヤクルト2軍打撃コーチに就任し、2軍監督、1軍チーフ打撃コーチを歴任し、14年10月に1軍監督に昇格。

 ◆石井 一久(いしい・かずひさ)1973年(昭48)9月9日、千葉県出身の42歳。東京学館浦安から91年ドラフト1位でヤクルト入団。エースとして4度の日本一を経験。02年にドジャースに移籍し、メッツを経て、06年ヤクルト復帰。07年オフにFA宣言し西武に移籍し、08年には日本一に貢献。00年最優秀防御率、98、00年最多奪三振。日米通算成績は524試合で182勝137敗1セーブ、防御率3.80。

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