礎は野村イズム 真中監督 最下位から就任1年目Vは69年ぶり

[ 2015年10月3日 05:30 ]

<ヤ・神>胴上げされる真中監督

セ・リーグ ヤクルト2-1阪神

(10月2日 神宮)
 劇的V!ヤクルトは2日、阪神に延長11回、2―1でサヨナラ勝ちし、01年以来、14年ぶり7度目のリーグ優勝を決めた。前年最下位チームが優勝するのは、セ・リーグでは76年の巨人以来、4球団目。就任1年目の真中満監督(44)は強力打線と鉄壁の救援陣を前面に出し、史上まれに見る大混戦を141試合目で制した。14日からのファイナルステージ(6試合制)から出場し、次は14年ぶり6度目の日本一を目指す。

 頼もしいナインたちが、歓喜の輪をつくっていた。信じ続けたコーチたちが抱きついてきた。眼鏡を外した真中監 督の目が潤む。今季最多3万3986人で埋まった神宮の景色が、涙でにじんだ。延長11回の激闘を制した。背番号77を背負った指揮官が7度、宙を舞った。

 「素晴らしいですね。私も含めて選手もみんなずっと苦しい気持ちで戦っていた。本当によくやったと言いたい」

 リーグ制覇は01年以来、14年ぶり。前回優勝した若松勉監督の名フレーズと同じ「ファンの皆さん、優勝おめでとうございます」と声を張り上げると声援に何度も何度も帽子を上げて応えた。

 就任1年目。44歳の青年監督は、2年連続最下位に低迷するチームの再建を託された。根底にあるのが新人監督らしい、球界の常識にとらわれない柔軟な発想だった。

 まずは春季キャンプから「自主性」をテーマに掲げ、選手個々の判断で行動することを求めた。夏場に入って大混戦が続 いても、9月の優勝争い中もそうだ。移動ゲームの日は試合前練習のフリー打撃を希望者のみとし、直前のシートノックは行わな かった。本拠地は屋外球場。酷暑を乗り切るための手段だった。結果次第では批判が起きることは承知。しかしシートノックがない日、ナインは自然と試合開始30分ほど前からグラウンドに現れ、個々にアップを始めるようになった。

 選手起用では固定 観念を捨てた。バレンティンが故障で出遅れると、田中浩や荒木を外野に本格挑戦 させた。春季キャンプのミーティングでは野手と投手を分けず、それぞれの考えを共有。昨季、打高投低が顕著だったチームを一つにした。

 だが、試練はすぐにやってきた。5月に9連敗。「今年もか…」。そんな空気がチームに流れ始めた。「大丈夫だ。心配するな」が口癖で、いつも前向きだった真中監督が9連敗目となった5月16日の巨人戦(東京ドーム)後のコーチミーティングで初めて下を向いた。そんなとき、押尾健一戦略担当スコアラーが監督室を訪ねてきた。「2年連続最下位なんだから簡単には勝てない。俺らはチャレンジャーじゃないですか」。翌日、連敗は止まった。

 12球団最年少の44歳の指揮官に導かれるように、明るいチームが築かれた。しかし、明るさの中に厳しさがあった。5月23日の広島戦(マツダ)で雄平とミレッジが左中間への打球を追って激突。2人が倒れ込み、ボールが外野を転々とする間に打者走者の逆転の生還を許した。自らの足でベンチに戻った雄平に対して「インプレーだ。拾うのが先だろ」という真中監督の怒声が響いた。今季唯一、声を荒らげた瞬間だった。7月8日には故障箇所の報告が遅れた上田の登録抹消を決めた。チームに必要な戦力でも、甘えは許さなかった。

 理想の監督は、野村克也氏。92年に入団し、野村ID野球を学んだ。「現役選手のときから自分が監督になるつもりで野球を見ろ」と言われ続けた。当時、キャンプでは連日、練習後に勉強会が開かれ、選手は野村監督の野球論や戦略などをノートに書き記した。いわゆる「野村ノート」だ。引退後、2軍コーチになった当初は困難に直面するとノートを読み返した。「もう5年ぐらいは見てないかな」と笑うが野村イズムは真中野球の礎となっている。

 野村氏の「真中満マイナス野球がゼロにはなるな」の言葉も胸に刻む。移動中はさまざまなジャンルの本を読み、歴史の知識は特に深い。現役時代からたしなんだパチンコ、ボートレースでも無類の「ギャンブル勘」を発揮していたという。コーチの意見を取り入れながら、ここぞでは自らの決断を信じた。柔軟性の中に潜む頑固さを貫いた。

 大混戦の結末は、141試合目。「9月からは長かった。ずっと苦しい戦いの中にいました」。戦うごとに強さが増し、9月は一度も連敗することなく、最後は劇的に頂点をつかんだ。真中ヤクルトは、黄金時代の再来を予感させた。(町田 利衣)

 ≪2リーグ制後初≫真中監督は就任1年目で優勝。新人監督のリーグ制覇は今季ソフトバンクの工藤監督に次いで19人目。工藤監督は前年優勝チームを引き継いだが真中監督は2年連続最下位チームを一気に引き上げた。前年最下位からの優勝は46年グレートリング、50年松竹、60年大洋、75年広島、76年巨人、01年近鉄に次いで7チーム目。新人監督の指揮下では46年グレートリングの山本監督、75年広島の古葉監督に次ぎ3人目だ。ただし前回古葉監督はチーム20試合目からの采配。フルシーズン指揮を執れば山本監督に次いで69年ぶり2人目、2リーグ制後では初のケースになる。

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