阪神・関本、日本一で花道だ!涙の引退会見 誓った最後の約束

[ 2015年10月1日 05:30 ]

引退会見中、涙を拭う関本

 阪神・関本賢太郎内野手(37)が30日、兵庫県西宮市内の球団事務所で現役引退会見を行った。阪神一筋19年間のプロ野球人生を涙ながらに振り返った。2度のリーグ優勝も経験したが、やり残したことがただ一つある。まだ見ぬ日本一という頂へ、最後までベストを尽くすことを誓った。4日の広島戦終了後に引退セレモニーが行われる。

 引退会見の正装として選んだのはスーツではなく、苦楽をともにしてきたタテジマだった。阪神一筋19年。関本が正式に今季限りでの現役引退を表明した。

 「私、関本賢太郎は今季限りで引退することをご報告させていただきます。振り返れば正直、あっという間でした」

 前日29日のDeNA戦でも打席でにらみをきかせてサヨナラ捕逸を呼ぶなど、引退を惜しむ声は多い。実際、右背中の故障から復帰した9月8日以降は10打数6安打3打点。代打の切り札として健在ぶりを示してきたが、引退に至る経緯を次のように明かした。

 「2度も戦列を離れたことが一番。(8月に)2回目のケガをしてファームにいる時に“潮時かな”と。(1軍復帰後)こんなに打てるようになるとは思わなかった」

 長きに及んだプロ野球人生は、創意工夫の連続だった。大型内野手と期待され天理高から入団したが、すぐにプロの凄さを思い知らされた。

 「自信があったけど、すぐに通用しないことが分かった。“3年も できないかも”というほどの衝撃を受けました」

 衝撃のシーンの一つが、4年目でプロ初出場を果たした2000年10月3日横浜戦(横浜)での、三浦との対決だった。「一線級の投手の球を見て力の差を痛感させられました」。鋭いフォークに空振り三振。同郷・奈良の先輩から1軍の厳しさを教えられた。

 20代後半からはユーティリティーぶりを買われ控えに回ったが、心が折れかけたこともある。そんな気持ちを奮い立たせてくれたのは、チームの先輩・矢野燿大氏(本紙評論家)からのゲキだった。「オレがレギュラーになったのは29歳ぐらいからやった」。その矢野氏は事務所内でそっと、後輩の節目を見届けた。

 ここ数年は代打の神様として貢献してきたが、始めの頃は葛藤があったという。「すごく嫌で。スタメンへの未練もあったし、恐怖心があった。でも、いつからか、そう言ってもらえることがすごくうれしくなった」。虎党からの大歓声に迷いは消え、今では誇りに思えるようになった。

 全力で走り続けた19年間は「幸せだった」と言い切れるが、ただ一つやり残したことがある。「日本一にはなれていない。ここからは本当のラストチャンス。その夢を追いかけたい」。引退会見を終えるころには、勝負師の顔に戻っていた。CS、そして日本シリーズへ。見果てぬ夢への挑戦は、まだ終わらない。(森田 尚忠)

 ◆関本 賢太郎(せきもと・けんたろう)1978年(昭53)8月26日生まれ、奈良県出身の37歳。天理では3年夏に甲子園出場。96年ドラフト2位で阪神入り。内野の全ポジションをこなし、05~07年にかけてセ・リーグ二塁手の連続守備機会無失策記録804をマーク。06~09年は主に2番を務め、通算164犠打はチーム歴代5位。10年以降は代打を中心に活躍。08年に登録名を本名の健太郎から変更。12、13年は阪神選手会長を務めた。1メートル86、96キロ。右投げ右打ち。

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