選手の地位向上に尽力…松原徹事務局長死去、昨秋に余命宣告

[ 2015年9月23日 05:30 ]

労組・日本プロ野球選手会の事務局長を務めた松原徹氏

 日本プロ野球選手会の事務局長として2004年の球界再編問題で史上初めてストライキを敢行した松原徹(まつばら・とおる)氏が20日午後4時59分、ぼうこうがんのため神奈川県川崎市内の病院で死去した。58歳。川崎市出身。04年の球界再編ではプロ野球史上初のストライキによって縮小再編を食い止めるほか、選手の地位向上に尽力した。近親者のみで密葬を行い、後日、お別れの会を開く。

 松原氏は、昨秋にがんの告知とともに、余命も宣告された。抗がん剤治療で髪が薄くなってもバンダナを巻き、最前線に立った。7月23日に都内で行われたマスコミとの懇親会にも出席。「実はぼうこうがんで転移していると言われた。頑張って治療する」と笑顔で打ち明けた。12月上旬の選手会総会の承認を経て、事務局長を辞し、相談役となる予定だった。今後は森忠仁事務局次長が事務局長代行を務める。

 88年、当時の落合博満選手会副会長の薦めで選手会事務局へ移り、00年から事務局長を務めた。「球団と選手は対等でなければならない」との立場に基づき、選手の地位向上に尽力した。

 功績は計り知れない。04年の球界再編問題では古田敦也会長とともに経営者側との交渉に奔走、プロ野球史上初のストライキによって、縮小再編を食い止めた。当時、睡眠薬と胃薬を携行し「試合がなくなることでプレーできない選手や悲しむファンを思うと眠れない」と話すなど、常に選手とファンの立場で誠実に実務にあたった。

 代理人制度の導入に始まり、フリーエージェント(FA)制度改革など、多くの権利を勝ち取った。11年の東日本大震災でのセ・リーグ開幕日を延期した交渉、13年の統一球をめぐる混乱などで日本野球機構(NPB)に問題を提起し続けた。13年の第3回WBC参加にも「平等な真の国際大会」を目指して、主張や交渉を続けた。

 プロアマの関係改善では、元プロ選手が短期間の研修で高校の指導者資格を得られることが13年に決まるなど、歴史的な雪解けにつながった。

 食事もほとんどとれない中で「プロ野球全体が発展しないと。最後の夢だから実現させたい」と話したのが、プロとアマの垣根を越えたトーナメント戦の創設だった。プロ野球激動の時代を支えた情熱を球界全体で受け継ぐ責務がある。

 ▼広島・新井(前日本プロ野球選手会会長)ファンの、プロ野球のことを常に考えていてくれた。凄く優しい、温かみのある方でした。残念でならないです。

 ▼西武・牧田選手会長 選手がいい方向にいくために裏で必死に働いてくれた方。体調が悪いとは聞いていましたけど…。ご冥福をお祈りします。

 ▼DeNA・中畑監督(労組日本プロ野球選手会初代会長)難しいポジションだったが一生懸命まとめてくれたから、今の労組がある。凄く良い人材。非常に残念です。

 ▼熊崎勝彦コミッショナー 野球を愛し、大変、好感の持てる人柄で、選手会の立場で率直に話をしてもらった。お互いに理解を深めていただけに大変残念だ。

 ◆松原 徹(まつばら・とおる)1957年(昭32)5月22日、川崎市生まれ。81年に神奈川大からロッテに球団職員として入団。83年から当時最年少で1軍マネジャーとなり4年にわたって同職を務めた。87年からファーム育成部に所属。88年12月に選手会事務局入りし、00年4月から事務局長を務めた。選手寿命も短く不安定な雇用関係にあるプロ野球選手の地位向上に尽力した。

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