工藤監督 心労なし?「よく寝られた」声出しでベンチの雰囲気づくり

[ 2015年9月18日 10:50 ]

「優勝」と書いた色紙を手に笑顔を見せる工藤監督(左)と東尾氏

工藤監督インタビュー(1)

 就任1年目で大輪の花を咲かせたソフトバンク・工藤公康監督(52)。底抜けの明るさはチームを照らし、現役時代から精通し、筑波大大学院でも学んだコンディショニングの知識で体調管理も徹底させ、年間トータルして選手たちの力を発揮させた。秋山幸二前監督(53)の電撃辞任で急きょ前年日本一チームの指揮を託され、時には失敗もあった。そんな喜怒哀楽が詰まった監督1年目に、ともに西武の黄金期を支えたスポニチ本紙評論家の東尾修氏(65)が迫った。

 東尾 優勝おめでとう。正直、もうちょっと苦しんでほしかった。監督の就任1年目って、体調崩すとかあるもんだろ。俺は(95年に西武の監督就任)心労がたたって下血したぞ。

 工藤 ありがとうございます。僕はよく寝られました。それは選手のみんなが、僕の内臓を守ってくれているおかげだと思います。

 東尾 うらやましいよ。頭もふさふさだし。

 工藤 それは関係ないでしょ!

 東尾 初めての采配だったけど、ヘッドコーチもいないから、サイン出すのは難しいだろ?

 工藤 難しいのは、守備の入れ替え。これにここを入れて、捕手をここに入れてとか…。頭の中で考えながら試合は進行している。周りに「これでいいんだよね?」と言いつつ、審判に伝えると、ピッチャー交代を伝えるのを忘れたこともありました。

 東尾 声も良く出てたように見えた。

 工藤 勝っている時はおとなしかったですよ。負けている時には「どうしたんだ?声は?」と言うとよく「よっしゃ行くぞ」と川島、福田だったりが、反応してくれる。みんなが声を出すと、よっしゃ行けとなります。ベンチの雰囲気づくりも大事ですよね。

 ▽工藤監督と優勝 29年間の現役生活で所属チームを14度リーグ優勝に導いた。内訳は西武時代(82~94年)11度、ダイエー時代(95~99年)1度、巨人時代(00~06年)2度。14度全て日本シリーズに出場し、11度日本一に輝いている。

 ◆東尾 修(ひがしお・おさむ)1950年(昭25)5月18日、和歌山県生まれの65歳。箕島では68年春のセンバツに出場。同年ドラフト1位で西鉄に入団。75年に23勝を挙げ最多勝。83年には最多勝、最優秀防御率の2冠に輝いた。シーズンMVP2度、オールスター出場10度。88年に現役引退し、通算成績は697試合で251勝247敗23セーブ、防御率3.50。95~01年には西武監督を務め、パ・リーグ優勝2度。13年WBC日本代表では投手総合コーチを務めた。10年に野球殿堂入り。

 ◆工藤 公康(くどう・きみやす)1963年(昭38)5月5日、愛知県生まれの52歳。名古屋電気(現愛工大名電)から81年ドラフト6位で西武入団。86、87年に日本シリーズMVP。95年にダイエー(現ソフトバンク)へFA移籍して99年の日本一に貢献。00年に2度目のFAで巨人移籍。07年から横浜(現DeNA)、10年は古巣・西武に復帰も同年に戦力外となり、11年に現役引退。最優秀防御率4度、最高勝率3度獲得。通算成績は635試合224勝142敗3セーブ、防御率3.45。

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