東北福祉大・大塚光二監督 母校復活へ「ワーッと」明るく

[ 2015年8月25日 11:10 ]

ミーティングで選手に話をする東北福祉大・大塚新監督

 元西武で、昨季まで日本ハムのコーチを務めていた大塚光二氏(47)が、7月27日付で母校・東北福祉大野球部の監督に就任した。元プロの肩書を持つ新監督は、かつての常勝軍団にどんな新風を吹き込もうとしているのか。現在は29日開幕の仙台六大学野球秋季リーグへ向けて練習、練習の日々。選手と一緒に真っ黒に日焼けして熱心に指導に当たる大塚新監督に「東北の雄」復活への思いを聞いた。 (鈴木 勝巳)

 仙台市青葉区のグラウンド。大塚新監督は練習試合中、一塁側ベンチのど真ん中に座っていた。周りをぐるりと選手に囲まれた位置で、身ぶり手ぶりを交えて指示を出す。引き分けに終わった試合後のミーティング。背番号50のユニホーム姿で「楽しくない!もっと俺を乗せてよ。ワーッと!」と大きな声で選手を?咤(しった)した。

 「無理っスもん。暗く厳しくなんて想像できないでしょ?明るく元気に。自分(の本来の姿)は隠さない。無理に距離を取ることもできないし、選手に近くで伝えたい。笑い話もして、時にはふざけ合ってね」。評論家時代は明るいキャラクターを生かした解説が人気だった。その姿は指導者になっても変わらない。

 今年1月、アマ野球で指導ができる資格を回復。母校から声が掛かり、4月からは特任講師に。ソフトボールの授業を受け持ちながら、野球部の練習を手助けしていた。そんな時に監督就任の要請。「本当に受けていいのか、と複雑だった。アマ、大学の野球も知らないし…」。一方でチームは2年連続で全国の舞台に進めず、「野球部自体が止まっている」とも感じていた。最終的には、同期生の村瀬公三助監督の「子供たちのために一緒に、一生懸命やろうよ」との言葉に背中を押され、受諾した。

 「失敗する可能性もある」。そう思いながら就任後に取り入れたのが、104人の部員を「3部制」に分けるアイデアだ。1~3軍ではなく、レベル的にほぼ同じチーム。A~C班と呼び、交代で練習試合などに出す。「出場機会も増える。競わせることで、自分に足りないことも分かる」。その先にある本当の狙いは、選手の自主性。「何が足りないか。物足りない、これじゃ駄目と考えて、行動に移すこと」が理想と考えている。

 日本ハムのコーチ時代。西川や中島、近藤ら若手の姿にカルチャーショックを受けた。自主性。彼らは個で考え、練習していた。上から押しつける指導ではなかったという。「僕らの時代はやらされる練習だった」。自身が教える大学生とほぼ同世代。その成長ぶりを目の当たりにした。そんなプロならではの経験を生かしたいと思っている。

 「自分は西武でリーグ5連覇した。選手には“勝つ喜び”を教えたい。今のチームで(優勝を)獲りにいく」。すでに部員の顔と名前もほとんど覚えた。「みんなと一緒に汗を流していると“帰ってきたな”と思う」。26日の誕生日で48歳になる青年監督。自身の野球の原点というグラウンドで、きょうも笑顔で大きな声を出している。

 ◆大塚 光二(おおつか・こうじ)1967年(昭42)8月26日、兵庫県生まれの47歳。育英から東北福祉大に進み、89年ドラフト3位で西武に入団。98年の横浜との日本シリーズでは、6打数連続安打のシリーズ新記録(当時)をマークした。01年限りで現役引退。通算成績は466試合で打率.258、7本塁打、70打点、15盗塁。評論家活動などを経て、13年に日本ハムの外野守備走塁コーチに就任。14年限りで退団した。

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